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書評と本に関するsmartbearのブックマーク (2)

  • 「メイスン&ディクスン」はスゴ本

    もちろん「V.」も「重力の虹」も持ってる。けど「持ってる」だけで、読み終えたためしがない。イメージの濁流に呑み込まれて読書どころでなくなる。注釈と二重解釈と地文と話者の逆転とクローズアップとフラッシュバックと主客の跳躍に翻弄され、読書不能。まれに、「読んだ」「面白かった」という方がいらっしゃるが、どうやって【読んだ】のだろうあやかりたい頭借りたい。過日、ようやく河出書房の世界文学全集の「ヴァインランド」をくぐりぬけたのだが、読書というより酔書でフラフラとなった。 で今回、辞書並み(しかも2冊)の「メイスン&ディクスン」は、ドーパミンあふれまくる読書と相成った。小説的瞬間とでも名付たくなる、小説内時空間のどこにでも言及され・見渡され・語られている、代えるものがない強烈な感覚に浸る。酒みたいなものだ、酔いたいから呑むのであって、結果、酔うから楽しいとは限らない。もちろん微酔の楽しみもある一方、

    「メイスン&ディクスン」はスゴ本
  • 私小説とは内臓小説だ「塩壷の匙」

    小説とは内臓小説だ。 自分自身をカッ斬って、腸(はらわた)をさらけだす。主人公=作者の、あたたかい内臓を味わいながら、生々しさやおぞましさを堪能するのが醍醐味。キレ味やさばき方の練度や新鮮さも楽しいし、なによりも「内臓の普遍性」に気づかされる。そりゃそうだ、美女も親爺も、外観ともあれ内臓の姿かたちは一緒なように、えぐり出された内観は質的に同じ。だから他人の臓物に親近感を抱く読み方をしてもいい。 松丸舗にて松岡正剛氏から直々にオススメされた車谷長吉「塩壷の匙」を読む。傑作短編集だ。松岡正剛さんオススメの劇薬小説という触れ込みだが、これは内観のおぞましさだね。そいつをハッとするほど美麗な筆致で削りだす。たとえば、「なんまんだあ絵」で井戸の中の鮒に近しいものを感じていた老婆が、こんな光景にであう。 釣瓶を井戸へ落とし込んだのだが、ゆるゆる闇の底から上がってきた水桶の中に、鮒の白い腹が浮かん

    私小説とは内臓小説だ「塩壷の匙」
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