横田めぐみさん(当時13歳)が北朝鮮に拉致されてから32年となった15日、拉致被害者の早期救出を求める集会が新潟市内で開かれた。 めぐみさんの両親と拉致被害者の曽我ひとみさん(50)が、約1300人の参加者を前に、問題の早期解決を訴えた。 めぐみさんの父・滋さん(77)は「日本はもっと積極的に北朝鮮と交渉してほしい。制裁も大事だが対話も必要だ」と語り、母・早紀江さん(73)は「今年こそ娘の帰国を祝いたかった。国民の命を32年間も助けられない国では外国に侮られる」と訴えた。 曽我さんは、一緒に拉致され安否の分からない母・ミヨシさん(同46歳)を思い、「世界で一番大好きな母ともう一度笑いながら話がしたい。一日も早い解決のため、みなさんの力をお借りしたい」と呼びかけた。 オバマ米大統領が14日の演説で拉致問題に言及したことについて、早紀江さんは集会後、「かつて誰も信じてくれなかった拉致問題を、オ
「まだ『北』に残された人には、帰国後の生活の心配をするなと伝えたい。私にも地村さんにも、曽我さんにも笑顔がある」(14日、米山要撮影) 北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さん(51)が読売新聞の単独インタビューに答え、帰国後7年で初めて、拉致された時の状況や北朝鮮での暮らしぶりを語った。言葉を選ぶように振り返った「北」での生活は、家族のために望郷の思いも封印、ただ、必死に生きたというものだった。 ◇ 2002年10月15日、一時帰国の形で24年ぶりに故国の地を踏んだ夜、東京・赤坂のホテルから見た景色が今も胸に残るという。マスコミのカメラを避けるため閉じていたカーテンを、深夜、妻の祐木子さん(53)とそっと開けた。眼前には、輝くばかりの夜景。前日に見た平壌の暗い夜との落差に「拉致の記憶がよみがえった」。 それは突然だった。祐木子さんと新潟・柏崎の海岸を歩いていた1978年7月31日夜。男たちに袋に押し
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