ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
「ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる。」というエントリーにはたくさんのはてなブックマークコメントを頂いています。 ただ、この種のネガティブコメントの問題点を指摘するエントリーに対して、ブログ主を個人攻撃してみても始まらないことは、そろそろ覚えても良いのではないかという気がします。何だかんだいっても、私にせよ、池田先生にせよ、ブログ主がほとんど保護されず、ネガティブコメンテーターが我が物顔でやりたい放題に暴れ回っている現状において、ネガティブコメンテーターに阿ることなく、エントリーをアップロードし続けているわけですから、そういう人に対し、「匿名の(自分の対する)嫌がらせを防ぎたいだけならブログを会員制にしたらどうですか」(by feather_angelさん)みたいな話をしても仕方がないのです。 むしろ、ネガティブコメントに嫌気がさしてブログをやめてしまった人や、ネガティブコメ
ブログのコメント欄におけるネガティブコメントが「正当な批判」でなくなるのはどういうときでしょうか。 そのこととの関係で思い出すのは、私が司法修習生だったときに司法研修所の大講堂で聴いた平井宜雄先生の「良い法律論」についての講演です。要旨を一言で言ってしまうと、「反論可能性のある議論が良い議論だ」ということになります。逆にいうと、「反論可能性を与えない議論は悪い議論だ」ということになります。講演では、どのような法律論が反論可能性を欠く法律論なのかを具体論を交えて説明してくださった記憶があります。 ブログのコメント欄におけるネガティブコメントが「正当な批判」の範囲にとどまっているかを考えるにあたっても、この「反論可能性」という考え方は参考になるような気がします。但し、「反論が可能か否か」を考えるにあたっては、論理的に反論が可能かだけではなく、物理的または心理的に反論が可能かということを考えない
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