3.11という言葉が、それを大層に扱わなければいけない空気が苦手だ。大変なことがあったのはわかる。いやわからないけど知識として知っている。でも大変なことは3年前の東北以外でもたくさん起こっているだろう。無念の死を遂げたひとも、突然大切な人を亡くしたひとも、ずっとずっと苦しみから抜け出せないひとも、何十万人もいるだろう。一回のできごとの規模が違うからなんだというのか。 2011年3月11日は中学校の卒業式だった。 きっとこれから何十回と3月11日に出会う。 その全てを忌まわしい震災の日にしないでくれ。悲しい日にしないでくれ。 悲惨な写真を見て被災者の状況を聞けば心は痛む。たぶん人並みには震災の話を聞いてきた。嫌でも聞かされたし目に入ってきた。それでも私は今回の震災に興味がないのだろう。駅前でボロボロの服を着てこの寒いなか裸足で寝ている人すら何の関わりもない他人なのだ。どうして一度も行ったこと