「マリみて」などですっかり普及した「お嬢様言葉」ですが、いったいその本質をどれだけの人が理解しているのでしょうか? また、ある有名作家が「お嬢様言葉」を「異様なる言葉づかい」と叩いていたことを知っている人は少ないでしょう。今日は、お嬢様言葉について考えます。 ああ、私はお前の兄たちに見習って、お前に意地悪ばかりしてさえいれば、こんな失敗はしなかったろうに! ふと私に魔がさした。私は一度でもいいから、お前と二人きりで、遊んでみたくてしようがなくなった。 「あなた、テニス出来て?」或る日、お前が私に云った。 「ああ、すこし位なら……」 「じゃ、私と丁度いい位かしら?……ちょっと、やってみない」 「だってラケットはなし、一体何処でするのさ」 「小学校へ行けば、みんな貸してくれるわ」 堀辰雄『燃ゆる頬・聖家族』「麦藁帽子」より 堀辰雄です。この浮世離れした文体がたまりません。なお、「麦藁帽子」の全