今年は、年賀状のやりとりだけ続けていた中嶋先生と、いよいよ会えるかもしれない。 あたりまえとされている道をあたりまえのふりをして歩きつづけることは、あたりまえの心ではとてもしんどいことだ。と、速くも気づいてしまった子の、先達として、再び。そうして、そのような子を持つ親の大先輩として、新たに。 数年前の年賀状で、先生は「鳥を待つ」と詠っておられた。 今日いただいた詩には……暑い夏、濁り切った池の底の魚がひとときの夕立ちに歓喜するけれど、その後の日照り空に「雨は降らず 世界は枯れていく」と、ある。 思い違いかもしれないけれど、私はいま、先生の詩が、わかるように思うのです。 ゆたかであるということは、この私に、いつでも十分な実りと平安が約束されている、ということではなかった。努力すればそれが手に入れられる、と約束されるものでもなかった。約束など何も無かったのだった。 まだ見ない鳥を待つ。池の底で