頓挫した県外の理念 徳之島拒否で窮地に 政治主導実現できず 政治 2011年2月13日 09時15分(4時間58分前に更新) 【東京】米軍普天間飛行場の移設先をめぐる鳩山政権の検討過程は、県外・国外という理念を表明したものの約2カ月ほどで名護市辺野古にUターン。2009年12月、鳩山由紀夫前首相の肝いりで決着を先送りしたが、最後は徳之島(鹿児島県)に望みを託すしかない窮地に追い込まれた。 09年11月には来日したオバマ大統領と会談。「トラスト・ミー」発言で米側は辺野古案に戻ると考えた。一方で、鳩山氏は米側、沖縄双方が理解する解決案を作れるという期待感をまだ抱いていた。 しかし防衛、外務などの官僚の厚い壁に阻まれ、次第に県内移設の包囲網が強まる中、12月上旬に辺野古移設の決断間際まで追い込まれたが、鳩山氏の独断で来年5月末の決着期限を設定した。 その直後、首相側近の牧野聖修衆院議員から徳之島