激論の末、量的緩和導入=「錯覚」生むとの懸念も−01年3月の日銀会合議事録 激論の末、量的緩和導入=「錯覚」生むとの懸念も−01年3月の日銀会合議事録 日銀は29日、2001年1〜6月に開いた金融政策決定会合の議事録を公表した。このうち3月19日の会合では、金融政策の目標を従来の金利から、金融機関が日銀に預ける当座預金残高に転換する量的緩和政策の導入を決定。ゼロ金利に続き、「未知の領域」に踏み出したが、会合では残高を増やすことによる効果をめぐり激論が交わされ、多くの政策委員が十分な確証を持てないまま、危機感に押されて見切り発車する形となった。 日銀は2000年8月に政府の反対を押し切りゼロ金利政策を解除した。しかし、その後の米国のITバブル崩壊が国内景気に深刻な影響を与えた。金融機関の不良債権処理に伴い、さらなる景気の落ち込みも懸念されたため、「思い切った金融緩和策の領域に踏み込むことも