ユニークな土雅に合う環境は、他にもあるのではないか—— 。 そう考えた両親や祖父母が相談したのが、リクルート出身で初の民間人校長となった藤原和博だ。藤原は興銀時代にリクルート担当だった真司と付き合いがあっただけでなく、パリ駐在中、現地で画廊を営んでいた吉井氏とも親交があった。 自宅を訪ねてきた牧浦と会った時の、藤原の第一印象は「まともないたずらっ子」だった。 「学習院のような『いい子』の集団の中で、昭和の時代に俺たちがやっていたのと同じような悪さを思いついてやっているのが面白かった。質問に対する受け答えはしっかりしていました」(藤原) そこで、藤原が校長を務めていた杉並区立和田中学校に進学。しかし中学1年の時、校庭でラグビーをしていて足を複雑骨折してしまう。入院中、父の真司は英国のボーディングスクールのパンフレットを病室に持ち込み、息子に留学を勧めた。 「中学生なんてまだ、何も分からないじ