ひねり飛車は かつては「先手必勝戦法が有るとしたらひねり飛車」とまで言われていました。 ところが後手番対策として、角道を開けるのを後回しにする(先手が飛車をひねってから開ける)指し方が考案され、その為にひねり飛車の大きな目的である、▽3三金の悪形の強要、後手番の駒組みへの制約(手損の強制)が不可能となりました。この手順が、そのまま現在の定跡となっています。 加えて、ひねり飛車は振り飛車同様 捌きの戦法であり、且つ 先手(ひねり飛車側)からの攻撃ポイントが制約されてしまいます。従って、相手に持久戦に持ち込まれただけで作戦負けに陥る事が多くなってしまいました。これがひねり飛車衰退に大きな影響を与えたと考えられます。 その後、角道を開けるタイミングを遅くする指し方に対し、『塚田スペシャル』が考案され、一時期は大旋風を巻き起こしました。(創始者の塚田九段は22連勝を記録、A級昇級も果たしました)