かなり前の記事だが、毎日新聞に載っていた。 1947年3月18日、帝国議会衆議院「教育基本法案委員会」は熱気に包まれた。委員会設置目的である教育基本法案は既に通過し、義務教育6・3制など新制度を定める学校教育法案が回ってきたのだ。 当時の文部省学校教育局長が答弁に立った。 「戦争を放棄した日本は文化国家建設のため教育の徹底的な刷新改革が必要で、次代を担う青少年への期待はまことに大きいが、現状では子供たちに教科書も与えられない……」 このようなことを語りながら彼はあふれる涙を落とし始め、ついに言葉を失い、声を上げて泣いた。 委員らも涙にくれ、5分の間声を発する者がなかったという。 毎日新聞の平成18年11月15日付朝刊2面「発信箱」 自分なりの判断のご紹介から転載 これの全文を帝国議会議事録からやっと探し出しました。(文章も違うし、日付も違うし、毎日新聞さん正確にお願いしますよ) 衆
「教育基本法」が改訂されると火が消えたように教育論議が静まった。教育をゆっくり考えるにはいい時期かもしれない。新旧の「教育基本法」にうたわれている「人格の完成」に関して若干考察してみたい。 横綱の「品格」が大きな話題になった。手許の国語辞典では、「品格」とは品位・気品のこと。「人格」は、人柄、人の品格・品性などをさすという。辞典を作った人も大いに困惑したのではないか。そのあいまいなところがいいのかもしれない。 1947年3月31日公布された「教育基本法」で、教育の目的の最初に「人格の完成」がうたわれた経緯は広く知られているが、かんたんに振り返ってみる。 その前年、教育刷新委員会(委員長・安倍能成、副委員長・南原繁、委員約50名)ができ、その中に第一特別委員会(主査・羽渓了諦をはじめ学者8名)が、教育基本法の原案を作成することになった。委員会は非公開であったが、後、すこしづつ漏れてきた。 最
ながお・がじん=仏教学者。龍谷大学仏教文化研究所客員研究員。明治40年8月生まれ。京都大学文学部教授(仏教学)、ウィスコンシン大学、ブリティッシュ・コロンビア大学、キャルガリー大学、ミシガン大学などの客員教授をつとめる。インド仏教、特に「大乗荘厳経論」など大乗仏教文献の解読に当たる。昭和34年、「居庸関(=きょようかん)」の共同研究で学士院賞受賞。昭和55年学士院会員に。 上山 今日は仏教研究、とくに唯識学(=ゆいしきがく)やチベット仏教の研究において第一人者であり、私の恩師でもあります長尾雅人先生にお話をうかがう機会を得ました。先生には今なお龍谷大学で仏典翻訳や後進の指導にあたっていただき、ありがたく存じます。 早速ですが、先生が仏教研究に志されたきっかけは? 長尾 お寺の生まれだから仕方がなかったのですよ(笑)。広島の浄土真宗のお寺で、大心寺といいます。今でも住職ですよ。兄がいるのです
羽溪 了諦(はたに りょうたい、1883年8月17日 - 1974年8月13日)は日本の仏教学者、浄土真宗の僧侶。 経歴[編集] 福井県遠敷郡出身。旧姓・向嶋。号・青浜。1909年京都帝国大学文科大学哲学科を首席で卒業。同大学院を経て副手、1923年講師、1927年助教授、1935年教授。1921年龍谷大学教授を兼ね、1931年大谷大学教授を兼ねる。1934年「西域仏教ノ特徴」で京大文学博士。1936年龍谷大学長。1943年9月京大定年退官[1]。京大、龍谷大、京都女子大学各名誉教授。浄土真宗本願寺派総務。1955年紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受勲。1945年戦後のGHQ指導のもとの教育刷新委員会において教育基本法原案の骨組みを担当した第一特別委員会のメンバー。 [2]。 著書[編集] 『解信ト仰信』法蔵館 1910 『釋尊乃研究』丙午出版社 1910 『阿弥陀佛の信仰』興教書院 1913
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