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小林秀雄と本居宣長に関するtakashi-onoのブックマーク (1)

  • 日本人ということ… - finalventの日記

    自分語りままだが、私は、自分が日人であることから、より普遍的であるべきだと考えてきた。どういう運命の巡り合わせか、異文化の人々と生活の一部を共にすることもあった。人間は人間である。日人である以前にその根幹に人間であると思った。その思いは、変わらないといえば変わらない。 ただ、歳を取るにつれ、ある文化の感性というのは外国人には通じない、あるいは、通じることは文学なりを経由するとても難しいことなのだと思うようになった。もう少し言うと、戦後の世界は日を表向き外国にしてしまった。 下の小林秀雄の言葉のなかに「そういう人間の素朴な感覚には誤りがある筈がないと私は思う」とあるが、この「人間」とは「日人」ということだろう。それを、中国人にも韓国人にも直線的には通じるわけもない。文学や宗教はそれをなしうるかもしれない。そして、人間の精神のなすべきことはそういう仕事なのかもしれない。 ただ、しかし、

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