ソビエト連邦時代の1970年2月4日、チェルノブイリ原子力発電所の建設と合わせて創建された計画都市である。当時は地図上にない閉鎖都市であり、厳重な警備態勢が敷かれていた。1978年5月27日には、チェルノブイリ原子力発電所1号炉が営業運転を始めた。1979年5月28日には最大出力1ギガワットの2号炉が営業運転を始めたため、プリピャチの人口も発電所の拡大に合わせて増えていった。1984年3月26日に4号炉が営業運転を始めた時点で、チェルノブイリ原子力発電所はソ連の原子力発電量の15%とハンガリーへの電力輸出の約80%を占める、世界有数の原子力発電所に成長していた。チェルノブイリ原子力発電所はさらに5・6号炉も建設が進んでおり、プリピャチには高度なインフラが整備されて、人口はさらに増加するはずだった。 廃墟となったプリピャチとチェルノブイリ原子力発電所跡(奥、2005年) しかし、プリピャチと