●なんか、『日本の夜と霧』(大島渚)を観たことは、自分で思っている以上にぼくにショックを与えているようだ(16日の日記参照のこと)。 ●世代を細分化する語りは常に退屈だと思う。世代を細分化する語りが言いたいのは、要するに「俺らの世代は特別だ」っていうどうでもいい自意識に過ぎない。「俺らの世代の前と後とでは世界が大きく変わったのだ」と思いたい、つまり「俺らは特別の存在だ」という。 勿論、世代の違いによる解消出来ない差異はある。しかし、それはどんな世代間にも常にあるものでしかない。また、世代間の社会的な場での利害の対立というものも、決してなくなることはない。しかし、「決してなくなることがない」ということは、常にあるということで、そんなの全然特別なことではない。ありふれている。たんに世代間の利害の対立(古い世代に対する新しい世代の利害闘争)という古くさくてありふれたものを、あかたも革新的、革命的