どんな場所にもたいてい「言い方のきつい人」や「つねに厳しい口調で話す人」がいて、彼らはなにもそんなに攻撃的な言葉を使わなくてもいいではないかというハードな口調でものをいう。むろん周囲もその性格を心得ていて、あの人は本心からそうした態度を取っているのではなく、立場上の戒めとして、もしくはある種のパフォーマンスとして、あえてそうしているのだということを知っている。ではかかる前提がある以上、パフォーマンスとしての叱咤や罵倒は軽く聞き流せるものなのかというと、まったくそのようなことにならないのはとても奇妙である。 どれだけその言葉が本意からではないと頭では理解していても、攻撃的な言葉はどうにも耐えがたく、気分は落ち込み、胃のあたりがぎゅっと縮こまるような独特の感覚がやってくる。どうしてこんなことが起こるのだろうとおもうが、理由はよくわからない。うまく推測はできないが、われわれの存在はどこまでも言葉