すごく年上の(29歳も年上の)そのひとは、時々ドライブにわたしを誘った。退屈な日曜日の初冬の夕暮れ。「もち行くか。」と言うので、大喜びで「いくいく。」だ。もちと呼び捨てにするのは世界でこの人だけだった。 360ccのシルバーの車*1 にズボンで乗り込んだわたしたちは、シートベルトなんてしないのだった。天も地も車も何もかも灰色で、河の流れだけが限りなく透明に近い群青色だった。本当は、あの青い流れの近くまで行って群青と白の三角波を見てみたいと、わたしはねだりたかった。 レースが終わった競馬場の駐車場までくると、車は止まって、 「もち あそこにあるあれ拾ってきて。」と言った。 「うん。」と助手席のドアを開けると猛烈な突風に煽られたが、「あそこにある『あれ』」を目指して駆けた。その人が指差した「あそこにある『あれ』」は赤鉛筆でひどく汚れていたのでわたしは気を利かせてもっと遠くで北風に翻る『あれ』を
舞美さんについてのことはまた日記に書こうと思っていたのですけど、問題は解決 した訳でなく、未だ煩悩に悩まされている状態でありまして…。というかアイドルを 追っていて煩悩も何もないんですが(笑)、僕もさすがに同じことを何年も続けて いると、最近色々と考えるようになりました。 ℃-utie Circuit以来、今まで神様のように思っていた存在が急に下界に降臨し 毎週のように目の前で歌い踊り、なおかつ握手までしてくれるというあのイベント 以来、僕は妄想の対象との距離感がつかめなくなり、徐々に精神のバランスを 崩していったような気がします。元々在宅妄想系のヲタで、現場にも行けたら 行くという程度だったので、僕にとってはかなり衝撃的な体験でした。 元々娘。にしてもキッズにしても僕はまるで天上界の存在のように思っていて、 握手会があったとしてもろくに言葉を交わせずに、それでも感激していた訳ですが、 そ
福岡の事件を聞いて僕はひどくショックを受けた。事件の続報を追う気力が萎えてしまうには十分なほどに。断片的に伝えられた事件の背景に僕の子供のころと似ている点があったからだ。身体に障害のある母親、発達障害のある子供、子供が親を詰り、親が子供を殺した。それが僕が知っている事件の全てといっていい。そして学童保育という単語。学童保育。ガクドー。僕も、両親の仕事が忙しかったので学校が終わると家ではなくガクドーに寄っていた。もちろん喧嘩はしたけれどそこでの時間はそう悪いものでもなかった。図書室で本を借りて帰ればいくらでも想像の世界に没頭できたし、学校のものに比べると小さかったけれど鉄棒や滑り台といった遊戯具もあったし、ピアノやアコーディオンといった楽器もあった。いくらでも時間は潰せた。僕は扱いづらい子供だった。通信簿の備考欄みたいなところには「集団生活に難あり」みたいな記述がいつもあって、それをみても親
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