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discriminationに関するtanahataのブックマーク (6)

  • 黒人は日本でどう思われている?【海外掲示板】

    元ネタ  japanforum.com 今日のお題は、日をテーマにした英語掲示板のスレッドから。 アメリカに住む黒人(アフリカン・アメリカン)さんが、日では 黒人はどんな扱いなんだと質問するスレを立ててました。 人種の話題は得てしてスレッドが荒れがちですが、割とまったりと レスが進んでいたので取り上げてみました。 もともと外国人がどう回答するのか気になる話題でしたし。 それでは、興味のある方は続きをどうぞ。 Being black in Japan 04-25-2009 Compaqmac321 ジョージア 男性 ヘロー、みんな。 調子はどうだい? さて、俺のアバターを見ても俺が黒人かどうか判断はつかないと思うが、 実際に俺はアフリカン・アメリカンだ。ネイティブ・アメリカンの血も 入ってるんだが、俺がそう言わない限り、普通の黒人として見られてるよ。lol それで、日に住んでるみんなに

    黒人は日本でどう思われている?【海外掲示板】
  • シーサー株式会社

    tanahata
    tanahata 2007/03/21
    売春は一種の抜け駆け行為だから、法や道徳で縛りをかけている。そして抜け駆けは非難──差別される。本質はそれだけの話。
  • ○○差別はいけないことだと思いますか?:しっぽのブログ

    以前こういうアンケートを見てびっくりした覚えがある。凄い質問をするなぁと。 ある意味誘導尋問って言うか、書いた側もわからないで書いてるのか。 多分書いた人の頭の中では、このアンケートに「はい」って答えれば「そうですよね?ですから○○差別は是正しないといけませんよね?」ってことになるし、「いいえ」って答えれば「じゃあ○○を差別するのが正しいことだとあなたは主張するんですね?」という回答を持っているんだろうなぁと思うけど。 丁度はてなでも差別の話題がホットのようなので、しばらく前に書いてお蔵入りになっていたこのエントリーが丁度合致するので掘り出してみる。 (ホットな記事ってのは 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 差別とはすべからく人を対象としたものである/性差別の構造/売春は悪ではない/追記あり 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 道徳や倫理や社会秩序を重んじるのならば、来なにより憎むべき

  • *minx* [macska dot org in exile] - 「いかなる理由があっても差別してはならない」というトートロジー

    二日前、牧波昆布郎さんのエントリへのコメントをした際、めんどうなことになりそうだから(狭い範囲でヒートアップしてるしぃ)飛ばした論点なんだけど、売買春そのものについてはわたしと近い考えを持っていそうな yuki さんの売春者に対する「職業差別」の議論を読んで、やっぱりちょっとだけ口を出したくなった。 気になった発言というのは、こういうもの。 「いや、職業差別はダメだ。ガードマンやゴミ処理の人を俺は差別しない。だが、売春婦は別だ」あるいはこう言うかもしれない。どうして売春婦は別なのだと問えば「性を商品化しているから」「売春は犯罪だから」とかおそらく言い出すのだろう。理由があれば差別はOKだという恐ろしい発想。まさにこれこそが差別の核心である。 近年は「肌の色を理由に」差別してはいけないということになり「生まれた土地を理由に」差別してはいけないということになった。どうにもならないことだから。し

    *minx* [macska dot org in exile] - 「いかなる理由があっても差別してはならない」というトートロジー
  • 差別と悪口:しっぽのブログ

    くるさりんど 売春者を侮辱することが、差別かと問うならば! 問うならば! それは明らかに差別ですよねぇ? 違うと思います。 これは差別ではなく「侮辱」「悪口」でしょう? 例えば 道ですれ違うときに肩がぶつかり 「なにやってんだこの馬鹿やろう!!」 そうしたら相手がたまたま売春婦でした。 これは売春者を侮辱したから差別ですか? 極論と言うなかれ、takisawaさんの二者択一を迫る文章も極論なのだから。 肩がぶつかったくらいで相手を馬鹿呼ばわりするのはよくないことである。 ただ、何故か世の中、何もかも差別に引き入れて論じる人がいるけども、悪口は悪口自体が悪なのであって、例えば誰かに「この下品なやつめ!」と言うのと、売春者に「この下品なやつめ!」と言うのは同じ舞台にありえるもののはずが、何故か後者だけが差別にされてしまう。 (2つとも悪意を持って言うなら同等に悪であるはずだ) もちろん、売春婦

  • 数学屋のメガネ:「差別」はすべていけないことか - livedoor Blog(ブログ)

    僕は、「差別糾弾主義者」に対して、その「差別」の糾弾の仕方に不当性を感じていた。彼らの主張の一部に正しいものが含まれていたとしても、その糾弾の仕方では、糾弾される当の対立者にはもちろんのこと、それを眺めている第三者からも反感をもたれて支持はされないに違いないと思っていた。差別糾弾という運動が大衆的な広がりを持たなかったことから、僕の感覚は正しかったものだと思っている。 普通の感覚で言うと、「差別」というのは不当性を伴っているので、その不当性が糾弾されるということに関連して「差別」が糾弾されるというふうに受け取る。だから、その糾弾に違和感を感じて、糾弾するほうこそ不当なのではないかと思うのは、糾弾している「差別」の対象を間違えているのではないか、あるいは「差別」ではないものを「差別」にしているのではないかという感じを受けることがあるからだ。 僕は、実際に「差別」があったとしても、その糾弾の仕

    tanahata
    tanahata 2007/03/21
    差別特別。
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