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Interviewとnamcoに関するtarchanのブックマーク (2)

  • バンダイナムコ知新「第8回 第2章ナムコサウンドの発展の足跡を追う【中編】」 | ファンファーレ

    「システム86」から「システムI」、回転拡大縮小機能を標準搭載した「システムII」へ。どんどん豪華になるアーケードゲームの演出はシステム基板のサウンドIC構成にも大きな影響を与えていきました。第2章前編ではFM(シンセサイザー)音源とともにナムコ独自のPCM(サンプリング)音源「C140」や「C352」がどういう経緯で開発されたのかを掘り下げていきましたが、今回の中編ではFM音源の話題を中心にサウンドクリエイターの方々にお話を伺っていきます。 1979年、ナムコ(当時)に入社、半年の営業研修後、ビデオゲーム開発部署に配属(当時『パックマン』を試作中)。『ギャラガ』プログラマーを担当後、ハードウエア開発、3Dハード前までの各種ハード、システム基板、カスタムICなどの設計を担当。JAMMA VIDEO規格専門小委員会に参加(副委員長)、通信プロトコル草案の策定にも携わる。PlayStation

    バンダイナムコ知新「第8回 第2章ナムコサウンドの発展の足跡を追う【中編】」 | ファンファーレ
  • バンダイナムコ知新「第1回 ビデオゲームのはじまり 後編」岩谷徹氏インタビュー

    2019/03/06 バンダイナムコ知新「第1回 ビデオゲームのはじまり 後編」岩谷徹氏インタビュー 今回は、『パックマン』の開発に携わったゲームクリエイター・岩谷徹氏にご登場いただき、当時のナムコがビデオゲームに参入した後についてお話を伺いました。どのような努力やチャレンジをして、新しい道を切り開いてきたのでしょうか? 岩谷徹 【プロフィール】 1977年、ナムコ入社。ナムコ初のオリジナルビデオゲーム『ジービー』の開発にかかわる。のちに開発した『パックマン』は、世界中でリリースされて大ヒットとなり、「80年代のミッキーマウス」と称された。ほかにも『リブルラブル』『ドラゴンバスター』『源平討魔伝』『タイムクライシス』など、数多くの作品に携わる。現在、東京工芸大学芸術学部ゲーム学科教授 。 ■アタリゲームをプレイしながら取説を和訳 ――まずはナムコのゲーム制作が、エレメカ(※1)からビデオゲ

    バンダイナムコ知新「第1回 ビデオゲームのはじまり 後編」岩谷徹氏インタビュー
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