ここ数日、大量に以下のようなメールが寄せられました。「お前の記事は自殺を促進させている」 「社会の責任に転換して若者自身のためにならない」 「悲しい気持ちでますます鬱になる」等私としては、自殺をする一歩手前の若者達を思いとどまらせるために書いたものであり、とてもやるせない気持ちになりました。しかし、万が一にもこのブログで自殺をする事を促進させるような事になっては『本末転倒』と判断し、ブログは閉鎖することにしました。支持してくれた方には申し訳ありません。最後になりますが、今でも..
13年連続で3万人を超える自殺者を出している自殺大国・日本。この3万人も警察が認定した数であって、実数はもっと多いと言われており、自殺未遂者に至っては、100万人を超えるという話もある。中でも深刻なのは、20代の「若者」の自殺が増加傾向にあることだ。2011年10月26日放送の「ニコ生ノンフィクション論」では、自殺問題を取材しているノンフィクションライターの渋井哲也氏と大月智博(ロブ@大月)氏をゲストに迎え、若者の自殺について考えた。 番組冒頭に行った視聴者アンケートでは、75.3%が「自殺を考えたことがある」と答えるなど、この問題に関心のある視聴者が集まった同番組。さらに視聴者から寄せられたメールから「自殺は本当に悪いこと?」と問うと、「はい」が32.7%、「いいえ」が67.3%と、半数以上が自殺に否定的でない見方をした。 結果を受けて、司会の藤井誠二氏は、 「社会が不況だからとか、人間
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ここ一週間、たくさんの日本の若い人たちと話した。JTPAツアー、九州大学ツアー、そして昨日のLingrイベント。それでつくづく思ったこと。もう前にも一度言ったことだし、当たり前のことだし、言わなくても伝わっているだろうとふと思っても、しつこく言おうと。なぜなら、僕が考えていることと正反対の言葉を、日本の大人たちから皆はシャワーのように浴び続けているし、僕がこうあるべきと思うことと正反対の経験を日々せざるを得ない状況にある、ということがよくわかったから。 二十歳にもなれば、その人のすべてはもう顕れている。その自分の良いところを見つけるには、自分の直感を信じ(つまり自分を信じるということ)、自分が好きだと思える「正のエネルギー」が出る対象を大切にし、その対象を少しずつでも押し広げていく努力を徹底的にするべきだ。そういう行動の中から生まれる他者との出会いから、新しい経験を積んでいけば、自然に社会
就活に不満、学生がデモ 札幌中心部で−北海道新聞について、ブクマのコメントでは書き足らないので思うところを補足。 「大学は出たけれど」と言う言葉が、初めて流行語になったのは、小津による同名の映画が公開された、1929年つまり昭和4年の事。小津の「大学は出たけれど」は、極初期の作品でありながら、すでに「細やかに生活を描く」という後年の作風の片鱗を見せていてとても興味深いものであると同時に、昭和初年の日本が誇る「軽やかなコメディー」を味わえる小気味のいい名画で、学生諸君にもこの映画を一辺見てみて、「邦画ってすげー」っていう実感を味わってもらいたいんだが、そんな話はさておく。 で、「大学は出たけれど」って言葉が流行ったのは、昭和4年。 昭和4年といえば、片岡蔵相の失言と東京渡辺銀行の取付騒動に象徴される昭和金融恐慌が発生してから二年。普通選挙実施の翌年。どうしようもない不況のどん底の中、政府は有
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