かぐや姫の物語に関するteramottのブックマーク (4)

  • かぐや姫の物語 | ITビジネスマンの寺業計画書 | 彼岸寺

    Facebookで皆が「かぐや姫の物語」を仏教だ仏教だというのでずっと気になっていましたが先日ようやく観ることが出来ました。 僕の幼少時代・少年時代はいかにしてお寺から逃げ出すか?が最重要トピックだったので原作のかぐや姫も読んだっけな?という怪しい記憶でしたが、いざ映画が始まるといきなり目から汗が・・・なんとも懐かしい世界が広がっておりました。 皆が言う仏教だ!のラストシーン、かぐや姫が月に帰るシーン。月からの使者がお迎えにやってくるという記憶でしたが、なんとまぁ阿弥陀如来が菩薩達(極楽浄土で修行する人々)を引き連れてお迎えにやってきました。 仏教はさまざまな修行方法で悟りを開く、仏になる方法を説きます。その一つに阿弥陀如来が極楽浄土に救い取ってくれ、そして苦しみのない場所、修行に専念できる極楽浄土で仏になる、という浄土教の教えがあります。救急車のサイレンが聞こえてくると「あ〜お迎えがやっ

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  • 映画「かぐや姫の物語」で解く『竹取物語』の謎。その2「姫はなぜ結婚を拒むのか」 - エキサイトニュース

    『竹取物語』の面白さは前編で指摘したように「謎解きの楽しさ」にあります。 そして『竹取物語』がこんなにも多くの謎を秘めているのは、一つには、物語の成立過程が複雑ということも関係するのかもしれません。 他の多くの古典同様、『竹取物語』の原は残っていません。しかも現存する最古の完の写は1592年に書かれたという新しさ。『竹取物語』は800年代の後半から900年代の半ばまでのあいだに成立したと言われますから、今現在「原話」とか「原文」と呼ばれる『竹取物語』は物語ができてから六、七百年も経って書き写されたものなのです。 しかも諸によってその内容がかなり違い、できた当初の物語に相当の手が加わっていると言われています。 それで、「原『竹取物語』」といったものがあるとしたら、それはどういうものだったのか、どんな物語が『竹取物語』に影響を与えたのか、さまざまな研究があるわけで、非常に関係深いとされ

    映画「かぐや姫の物語」で解く『竹取物語』の謎。その2「姫はなぜ結婚を拒むのか」 - エキサイトニュース
  • 映画「かぐや姫の物語」で解く『竹取物語』の謎。その1「身分の低さと結婚のルール」 - エキサイトニュース

    『竹取物語』の面白さは、かぐや姫の頭脳明晰なキャラの爽快さと、グローバル性というか、さまざま世界の価値観が錯綜する面白さと謎解きの楽しさにあると思うのですが、そうした要素が映画にもありました。 映画「かぐや姫の物語」、原話に意外なまでに忠実であるというのが私の印象です。 もちろん、違うところはたくさんあります。以下、「ネタバレ」部分もありますが、映画を楽しむ分には問題ないと思われるので、書きますと……。 原話では影の薄い嫗(竹取の翁の)が大きな役割を果たしていること、かぐや姫が何を感じていたかを描くことに大きなウエイトが置かれていること、その気持ちを引き出すために原話にはない「捨丸(すてまる)」というキャラクターが設定されていること、などなど。 しかしそれによって別の『竹取物語』が生まれたというよりは、『竹取物語』の世界がより鮮明になった、といった印象です。 そのくらい、「かぐや姫の物語

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  • 『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ

    『かぐや姫の物語』を観た。強い衝撃を受けた。昔話のあらすじそのままでありながら、昔話ではなかった。これは、あきらかに現代を生きる女の話だった。震えた。 思春期を迎える頃に、かぐや姫は生まれ育った山を離れ、都へと連れていかれる。この時点でいくつかの喪失がある。子供時代の喪失。野山を駆け巡る生活の喪失。遊び仲間の喪失。姫は、このときまだ自分が何を失ったのか理解していないが、「子供時代の喪失」は、女にとって、人間性を一度失うことと同じである。女にとって、大人になるということは、ただ子供から大人になるということではない。大人ではなく、「女」になれ、という周囲からの強制が必ず働く。ただ自分の意志で好きなことをし、気持ちをそのままに表現できた子供時代を失い、人目を気にして誰から見られても恥ずかしくない「女」になれと強いられるのは、自分自身を捨てろと言われているのに等しい。都に移り住んだ姫は、走り回るこ

    『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ
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