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物語論に関するterasuyのブックマーク (4)

  • 物語はなぜオチが必要なのか - 萌え理論ブログ

    はじめに 復活しました。まずは基に戻って、物語について考察します。よくあるようにオチのパターンを並べてみたりするのではなく、そもそも物語にはなぜオチが必要なのか、あるいは必要ないのか、ということを考えます。今回はゲームの手ではなくゲーム自体を考えます。 射精説 物語はなぜオチが必要なのか、という疑問に性急に答えるなら、性交の比喩が明快だろう。即ち、オチのない物語は射精のないSEXのように散漫なのである。ただし、セックスレスの夫婦が増加しているという話もあるし、オチどころか物語も実は必要ないのかもしれない。これをもうちょっと格好つけて言うと、物語のファロセントリズムということになる。 散文的・韻文的 しかしこの喩えだけで終わってはあまりにも早漏的だろう。上で言ったことを丁寧に言いなおすと、物語の作り手は男性が多く(だから女流作家という有徴の肩書きがある)、物語も男性社会の目的論的な傾向を継

    物語はなぜオチが必要なのか - 萌え理論ブログ
  • http://ooame.seesaa.net/article/14259378.html

  • ■ - はじめてのC お試し版

    何が言いたいかと言えば、物語は読者にフィードバックされるものでなければ意味がないのではないか、ということなのです。成長物語結構。けれどそれが単なる、ただのまぼろしの世界の物語(見て楽しい、格好いい)なのであれば、やはり何か空しい。FATE/HOLLOWの結末の様に、最後のピースが嵌ると同時にその世界は砕け散り、用をなさなくなるでしょう。しかし世の中には、最後のピースが嵌ったにもかかわらず永く、よりいっそう輝き続ける作品は存在する。言われるまでもなく、物語など元より虚構であって、それを仮にも世界として成り立たしめているものは何なのか。世界のフィードバック、物語というパズルの「枠の外」へと読者を導くことの成否もまた、そこらへんにありそうな気がします。

    ■ - はじめてのC お試し版
  • Atahualpa :: TYPE-MOONは「セカイ系」の終わりを告げるのか?

    この夏、ろくに更新もせずに何をやっていたかといえば、TYPE-MOONの美少女ゲーム『月姫』と『Fate/stay night』にハマり狂っていたのですよ! こういった設定が山ほどある作品に僕はめっぽう弱くて、いまだにネットで「月姫研究室」を貪るように読んでいたりするのだが、それにしても、この一連のTYPE-MOON作品から、ノスタルジックな感慨ばかりわき起こってくるのは何故だろうか。雑誌や同人誌でゲリラ的に発表されるサイドストーリー、物語の背後に隠された裏設定とそれをまとめた用語集、登場人物と世界観を同じくするスターシステム……これはまるで『魑魅戦記MADARA』のようではないか。 80年代に大塚英志によって『物語消費論』の実践として展開されたMADARAシリーズ。一作目は当時の流行に乗っかっただけのファンタジー漫画だったのが、完結と同時に「MADARAプロジェクト」と銘打って108のサ

    Atahualpa :: TYPE-MOONは「セカイ系」の終わりを告げるのか?
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