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反論に関するtettou77-1のブックマーク (5)

  • 透明性の低いコミュニケーション | smashmedia

    ごめんなさい。smashmediaのブログは削除されました。 10年に渡り、あちらこちらに書き連ねてきましたが、ご愛読いただきほんとうにありがとうございました。またリンクしてくださった方にも、心からお礼申し上げます。 以下、少し駄文を書きます。 ブログには「パーマリンク」という基的な考え方があり、すべての発言や記事は半永久的に固定されたURLによって公開され、未来におけるアクセス権(閲覧可能性)を担保するという、じつに素敵なコンセプトなのですが、一方で古い情報が永遠に残り続けてしまうという弊害も生んでいます。 ブログというものが「ストック」であるならば、そこに書かれた内容に対して、書き手であるブログ運営者は責任をもつべきで、自らの考え方が変われば内容を更新し、状況や情報が変われば現在にあわせて修正すべきです。 でも現実問題として、そこまでさかのぼって更新や修正をできるほうが稀で、結果とし

  • “若者の○○離れ”に対する2ちゃんねるの反論コピペに超納得した|デジタルマガジン

    最近、“若者の○○離れ”という言葉が各種メディアでよく使われている。TV離れ、車離れ、活字離れなどなど、若者はさまざまな物から離れていっているらしい。 私もまだ一応は若者に分類されると思うが、とくに離れていったという覚えはない。自分にとって必要なこと、好きなことだけをやっていたらいつの間にか彼らの言う“若者の○○離れ”になっていたというだけだ。 そんな“若者の○○離れ”に対して、とある反論コピペが2ちゃんねるに書き込まれていた。その内容には、ものすごく納得した。そのコピペとはコレだ。 良い子の諸君! 若者の○○離れとよく耳にするが、当時群がってたのは今のジジババ共だ! 今の若者は、離れるも何も最初から近づいてすらいないな! そう、まさにコレである。離れるも何も最初から近づいていなかったのだ。若者はテレビ、新聞、車、旅行、腕時計、そしてブランドに近づかなければならないというのは昔の若者、つま

  • 僕がケータイやらテレビを捨てちまえっていう論調が嫌いな理由 - y-shift with y-shirt

    前から書いてるのだけどケータイからテレビ捨てちまえとかいう論調が僕はとてつもなく嫌いで、つまらない。それは自己管理能力の無さをテレビやケータイのせいにしているだけだと思うんだけど気のせいだろうか。要は付き合い方の問題だと思うのだけど…子供とはいっても人間なんだから、自分の価値観を押し付けるのは決して嬉しくはないな。っと昨日ふと思いました。

  • 「ちょうせん がっこうの せいとたちは すんだ めを している」? - やねごんの にっき

    せんしゅうの どようびに 「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する緊急行動」に いって まいりました。 http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20100327/p1 http://www.mkimpo.com/diary/2010/chosun_hakkyo_10-03-27.html よよぎ こうえん(代々木公園)で しゅうかいを おこなった あと、しぶや えき(渋谷駅)に むかって デモを おこないました。 デモには ちょうせんがっこう・ちょうせんだいがくの がくせいさんを はじめとして 800にん くらいが さんかしたらしいです。だいせいきょうでした。 さて、しゅうかいでは ちょうせん こうこうの せいとさんや その ほごしゃの かたの おはなしを きく ことが できたのですが、わたしは ある きょうしょくいん くみあいの ひとの はつげんの いちぶに つ

    「ちょうせん がっこうの せいとたちは すんだ めを している」? - やねごんの にっき
  • 日本のためにならない「FREE」礼賛論を疑え! | 岸博幸のクリエイティブ国富論 | ダイヤモンド・オンライン

    「週刊ダイヤモンド」3月13日号は、ベストセラー『FREE』を特集していました。しかし、私の著書『ネット帝国主義と日の敗北』をお読みくださった方なら容易に推察できるように、私は『FREE』で述べられている考えが大嫌いです。そこで今週は、『FREE』の何が問題かを説明したいと思います。 フリーランチはない 最初に、このが説明しているフリーモデルの4分類というのは、別に取り立てて新しいものでも何でもありません。いわば、ビジネスの工夫、ビジネスモデルの組み方の問題であり、当たり前のことをさも斬新であるかのように説明しているだけです。 その意味では、“クラウド・コンピューティング”が、データセンターなどの既存のものを組み合わせただけで何も新しい技術要素はないのに、ネーミングだけで新しいソリューションであるかのように見せているのと同じです。ネーミングの勝利と言え、そうしたマーケティング戦略は評価

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