90歳と80歳、目に見えない38度線超えて このたび、5月の連休にあった総聯大阪府本部の短期祖国訪問団に参加して、父と姉と私の3人で祖国を訪れた。私は2度目の訪問だが、父と姉は初めてだった。 私にはかねてからぜひとも父をウリナラに連れて行きたいとの願いがあった。父は日本では親兄弟と離れ一人であった。南にいたその親兄弟も早くに亡くなり、今は北に帰った姉だけが健在で、日本にいる弟に死ぬ前に会いたいと待っていたからだ。父は80歳、コモは90歳、実に45年ぶりの再会が実現した。 この団に同行した日本の新聞記者に、なぜ今まで会いに行かなかったのかと聞かれた。行かなかったのではない、行けなかったのである。日本人には到底理解しがたい、眼には見えない38度線が再会の道を長い間阻んできた。 父は戦前17歳で日本に渡って来たが、植民地にされた朝鮮の地で、その当時誰もがそうであったように、幼い頃からひもじさと辛