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GAMEと企業に関するtokisobaのブックマーク (2)

  • [黒川文雄のゲーム非武装地帯] 第39回: 血族の王朝「コナミ」(序章)

    6月12日、日経電子版に「コナミを去るクリエーターたち 王国の遠心力 」という挑発的な見出しが躍った。ゲーム業界をよく知る人たちにとって、この見出しはもちろん、その記事の内容はとても興味を掻き立てるものだったに違いない。記事は「コナミ」を退任した小島秀夫氏の近況から始まり、コジマプロダクション(以下、コジプロ)が置かれている状況、さらには退社したクリエーターの環境、そしてコナミのコンテンツへのある種の悲観的な観測を綴ったものだ。これらは現在のコナミとその周辺を取材したものだが、コナミは「王国」ではなく、血縁を重要視した「王朝」だといえよう。 メタルギアシリーズ「生みの親」の退職と独立 遡ること、2015年12月20日、私が毎日新聞のネット版ニュースサイト『まんたんWEB』に以下の記事を書いたことがある。 黒川文雄のサブカル黙示録:「メタルギア」シリーズ“生みの親”の退職と独立 元社員が明か

    [黒川文雄のゲーム非武装地帯] 第39回: 血族の王朝「コナミ」(序章)
  • 日本ゲーム産業の父、任天堂・山内溥前社長死去(平林久和) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    任天堂前社長で、相談役の山内溥(やまうち・ひろし)氏が19日、肺炎のため死去した。享年85歳。謹んでご冥福をお祈りするとともに、その功績を振り返ってみたい。 日ゲーム産業は山内溥氏の決断によって興ったと言っていい。 ファミリーコンピュータというと、任天堂が先駆者だったイメージがあるが、じつは後発組だった。1981年から1983年にかけて家庭用ゲーム機は発売ラッシュを迎えた(表1)。国内の玩具メーカー、技術系ベンチャー企業、アメリカの玩具メーカーが多数の機種が投入された。いずれ流行するだろう「テレビに接続するゲーム専用機」新市場の開拓を各社が目指していたのだ。 社名は当時上村雅之部長が率いる任天堂・開発第二部のメンバーが開発したファミリーコンピュータ。ハード性能とソフトを見て、山内溥氏は「これは売れる」と直感した。一気に普及させるために大量生産による一台あたりのコスト圧縮を決意。100万

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