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原発に関するtokogleのブックマーク (2)

  • 第5部「原子力の戦後史」 ①同床異夢 :日本を創る - 47NEWS(よんななニュース)

    原子力委員会の初会合に臨む(左から)藤岡由夫、湯川秀樹、正力松太郎、石川一郎、有沢広巳の各委員=1956年1月、首相官邸 「唯一の原爆被害国である日が平和利用に積極的な活動を開始したことは世界的に大きな意義を持つ」。1956年1月4日の首相官邸。原子力発電に道を開いた「原子力委員会」の初会合で、初代委員長の国務大臣、正力松太郎はこう力説した。「原子力」を旗印に権力の階段を駆け上がろうとした正力は欧米からの原発輸入を急ぐ。一方、委員会の顔として三顧の礼で迎えられた日初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹は自主開発が必要と考えていた。対立はすぐ表面化する。 監視役 「5年目までに採算の取れる原発を建設する。原子力関係の動力設備、技術など一切を(海外から)受け入れたい」。初会合で、全面輸入方針を盛り込んだ委員会声明を出したいと提起した正力は地元・富山に帰る列車の中で、その文案を同行記者団に説明し、既

  • 原子力の図書館:廃止 安全委→規制庁に引き継がれず- 毎日jp(毎日新聞)

    廃止された「原子力公開資料センター」。入り口には鍵がかかり、廃止を告知する紙が張り出されている=中西拓司撮影 「原子力の図書館」として、原子力資料を一般市民に公開していた「原子力公開資料センター」(東京・霞が関)が、運営元の旧内閣府原子力安全委員会から新しく発足した原子力規制庁に引き継がれず、廃止されていたことが分かった。再開のめどは立っておらず、資料4万ファイルは公開されないまま宙に浮いている。福島原発事故の反省を踏まえ、原子力行政の透明性アップを目標に掲げて発足した規制庁だが、識者からは「情報公開の取り組みが劣化した」との批判の声が上がっている。【中西拓司】 ◇原発資料など4万ファイル センターは約600平方メートルで、旧安全委員会に近い民間ビル内にあった。原発を建設・運転する際に必要な設置許可申請書や安全審査書のほか、政府の議事録など資料約4万ファイルが収蔵され、福島事故直後は1日約

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