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人物に関するtoremiro_koheiのブックマーク (2)

  • 宮崎監督論(スタジオジブリ作品を中心に)

    宮崎監督論(作品分析のためのツール) 宮崎アニメ独自の作風が何に基づくのかを、ここでは3段階に分けて整理します。 作家としてのスタンス、個人的な好み、無意識のコンプレックスの3段階です。 1.職業アニメ作家としてのスタンスとしての「解放感」] 「僕は漫画映画というものは、見終わったときに解放された気分になってね。 作品に出てくる人間たちも解放されて終わるべきだという気持ちがある。」 (アニメージュ文庫「また会えたね」より引用。) この過程を、宮崎監督は「浄化」と呼びます。 敵だと思っていた人物が、主人公に影響されて、どんどん味方に変わっていくのです。 (「未来少年コナン」のダイス、モンスリー、「天空の城ラピュタ」のドーラから、 「千と千尋」の銭婆、「ハウル」の荒地の魔女まで)。 「コナン」で最後まで悪役だったレプカでさえ、浄化される寸前だったといいます。 作中の人物

  • 映画が抱えるお約束事 - 映画の見方

    映画とは、カメラが撮影している過程で結果として被写体が画面上を左右に動くというものではありません。 その点では素人のホーム・ムービーとは違います。 映画は、あらかじめ画面の右なり左の先に、ゴールがあると設定して、そこに到達するまでの葛藤を被写体の左右への動きで表現するというものです。 『月世界旅行』"Le Voyage dans la Lune / A Trip to the Moon/Viaje a la Luna"(1902) 映画ができたばかりの頃のこの短編映画は、画面向かって⇨右側に月世界があると設定されています。 そして、そこまでの行程は⇨向きの移動で表されており、月からの帰還は逆の⇦向きの移動で表されています。 つまり画面の動きのイニシアチブを握っているのは、被写体ではなくカメラであり、画面に映るものは基的に撮影する側によって管理されたもの、もしくは編集の過程で管理されたもの

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