大東亜戦争の敗戦を日本の“第一の敗戦”とするなら、失われた20年を経て、3.11とともに勃発した東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故(Severe Accident)による惨事は、日本の“第二の敗戦”をほぼ決定づけた。その失敗の本質を問わなければ、復興は不幸の繰り返しになるだろう。 発電する手段としての原子力発電所。「3.11」は永遠に記憶されることとなった。「安全、安心」と長年喧伝され続けてきた原発の虚構の神話が文字通り吹っ飛び、世界中で上を下への大騒ぎが巻き起こっている。 東電福島原発には第一原発に6基、第二原発に4基の合計10基が配置されている。これらのうち、過酷事故を起こしたのはすべて、1号機から4号機まで、マークIと呼ばれる老朽機であり、これらは米General Electricの設計図に沿って建造されている。その他の健全な6基(多くはマークII )は東芝・日立などのリスク設計
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