母の戦争体験をじっくり聞いてまとめた『私が子供だった頃~戦争の記憶~』の中から、これまでも戦時中の暮らしや教育についてお伝えしてきましたが、今回は、国民学校4年生(現小学4年)から田植え・開墾などの勤労奉仕をさせられていた日々、食糧難の中、食糧増産のために植えられたさつまいもとかぼちゃにまつわる話です。 これからお伝えするのは、現在の鹿児島県薩摩川内市で戦中戦後を過ごした母の体験です。 母の住んでいたところは広い畑や田んぼが広がる農村地域でした。 国民学校4年生から勤労奉仕に・・ 昭和16年12月太平洋戦争が始まりますが、日本が少しずつ戦時体制へと変わっていく中で、その年の4月には尋常高等小学校という名称が国民学校に改められました。「必勝の信念」や「堅忍持久(辛さや苦しさに耐え我慢強く持ちこたえること)」の精神をたたき込み、お国のために命をおしまない国民になるよう教育も戦時体制になっていく