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学_論と学_近現代に関するtot-mainのブックマーク (2)

  • 国家とは国民にできた癌だ - 新温暖化メモ

    しかし、一番足りない想像力は、「国家」を「自分たち」に含めるにはどうしたらよいか、という想像力なのかも知れません。国家が国民にとっての二人称であり続けるかぎり、国家もまた国民を二人称扱いし続けるでしょう。そして二人称であり続ける限り、権利の応酬合戦もまたなくならないでしょう。(404 Blog Not Found:年金を反古にする権利は当然存在します) 「国家」と「自分たち」が一人称になることは永遠にない。なぜなら一人称でないから国家なのだから。 正確を期すれば、国家は三人称だ。実は国家とは、「私」と「あなた」の間に抽象化されたある種の法人なのだ。単純化すれば、国家は二人いれば成り立つ。「私」と「あなた」との間の約束事。これが国家の原型だ。「昨日会うと約束したのにすっぽかされた」と私orあなたは架空の約束手形を根拠に難詰する。「私」が多数増殖し、「あなた」も多数増殖し、架空の約束手形もそれ

    tot-main
    tot-main 2007/06/16
    素晴らしい国家論だと思う。
  • 脱亜論

    世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、至る處、草も気も此風に靡かざるはなし。蓋し西洋の人物、古今に大に異なるに非ずと雖ども、其擧動の古に遅鈍にして今に活發なるは、唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。故に方今当用に國するものゝ為に謀るに、此文明の東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども、苟も世界中の現状を視察して事實に不可ならんを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。文明は猶麻疹の流行の如し。目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延する者の如し。此時に當り此流行病の害を惡て此れを防がんとするも、果して其手段ある可きや。我輩斷じて其術なきを證す。有害一遍の流行病にても尚且其勢には激す可らず。況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや。當に之を防がざるのみなら

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