しかし、一番足りない想像力は、「国家」を「自分たち」に含めるにはどうしたらよいか、という想像力なのかも知れません。国家が国民にとっての二人称であり続けるかぎり、国家もまた国民を二人称扱いし続けるでしょう。そして二人称であり続ける限り、権利の応酬合戦もまたなくならないでしょう。(404 Blog Not Found:年金を反古にする権利は当然存在します) 「国家」と「自分たち」が一人称になることは永遠にない。なぜなら一人称でないから国家なのだから。 正確を期すれば、国家は三人称だ。実は国家とは、「私」と「あなた」の間に抽象化されたある種の法人なのだ。単純化すれば、国家は二人いれば成り立つ。「私」と「あなた」との間の約束事。これが国家の原型だ。「昨日会うと約束したのにすっぽかされた」と私orあなたは架空の約束手形を根拠に難詰する。「私」が多数増殖し、「あなた」も多数増殖し、架空の約束手形もそれ