代々漁師の家系(ただし父親は役場勤務)に生まれる[1]。 小泊村立小泊小学校(現・中泊町立小泊小学校)時代には、後に現代詩の手解きを受けることになる(アレン・ギンズバーグなどの存在も教わる)泉谷明[2]と出会う[1][3][4][5]。 1960年代から活動した日本のフォークシンガーは、音楽を始めたきっかけとして、ボブ・ディランなどを挙げる人が多いが[6]、三上のギターを弾き始めたきっかけは、小林旭の『渡り鳥シリーズ』だという[6]。青森県立五所川原高等学校在学中は、生徒会長を務めたことがあり、バンドを組んでザ・タイガースやジャッキー吉川とブルーコメッツなどをカバーしていた。作詞も高校一年から始め、バンドでは自作のオリジナル曲を演奏したこともあるという[要出典]。1967年にはガリ版刷り詩集『白い彫刻』を自費出版。同郷の詩人寺山修司の眼にとまり、「寛は詩がうまい」と言われたともいう[7]。