人生と増田に関するtoukyoumertoromarunoutisenのブックマーク (50)

  • 唐突にクッキー缶を取り寄せる

    誰に贈るわけでもない、何かを祝うわけでもない。 この凹凸の無い人生に少しでも変化をと思い、適当に有名ショップらしきところで5,000円ぐらいのクッキー缶を注文する。 今まで3回ぐらいやってきてるが、なかなか美味い。 4日間ぐらいかけてちびちびい尽くすんだが、家に帰ればクッキーがあるんだと思うと人生にも色が付くよ。

    唐突にクッキー缶を取り寄せる
  • アイヌ系だけれど我が家は今のアイヌ人権団体から見ると裏切った側

    嘘か真か、我が家の先祖は大和と取引して興隆した家柄、というか一族で、大和から鉄器や布や網などを交易して狩猟へ応用し財産を築いたので今がある、と小さな頃からそう教えられていた 大人になり大和とアイヌの関係性をはっきりと理解できるようになると「あぁ我が家は裏切った側か」と知った もちろん有識者に言わせれば実際のところはアイヌ同士でも血を伴う争いは頻発していて、それを考えれば鉄器を潤沢に得ていた先祖は有利に戦況を進めていただろうことは想像に難しくない 北海道の西側から始まったアイヌ同化政策でも少なからずの抵抗があったと聞いたが先祖はその先鋒として"交渉"を伴いながら東へ進んだという まぁどう見ても今のアイヌ人権団体から見れば裏切り者だ 何なら我が家は北海道開拓の功労が認められ、そこそこの地位まで得てしまい戦後は内地へ渡った、つまり今はもう北海道にすら住んで居ないのである しかも一部権利を北海道

    アイヌ系だけれど我が家は今のアイヌ人権団体から見ると裏切った側
  • バリバリバリバリ聞こえてきたからつけもんでも食ってんのかと嫁の方を見..

    バリバリバリバリ聞こえてきたからつけもんでもってんのかと嫁の方を見たらケツかいてた 結婚してよかったな

    バリバリバリバリ聞こえてきたからつけもんでも食ってんのかと嫁の方を見..
  • 母の膝が金属製になる日のこと

    先日、私の母が入院した 突然の病だとか不幸な事故だとかではなく、計画された入院である 母の入院に際して、夏休みで在宅中だった小学4年になる私の娘は、その日が1日また1日と迫る来るのを悲しそうにカウントしていた 入院予定日前日に至っては、「おばあちゃん」をどうにか入院させまいと風邪を引かせる努力をしていたが、コロナ対策も万全だった母には通用しなかった 当日の朝、母の居室である和室の襖の前に娘が座り込んでいた 娘の目はすでに赤く充血していて、小さな手に握られた紙片は涙でほんのり濡れていた 困った顔をしつつも嬉しそうな母は娘が座り込んでいる逆の襖を開け部屋から出てきた 娘は「おばあちゃん」の入院する意思の固さを感じ取ったのか、和室封鎖を諦めて私に泣きすがってきた まるで今生の別のようだなと、微笑ましくも思わず目が潤んだ 病院に送迎してくれる車が到着した 荷物を運び入れ母が乗り込もうとした時、娘は

    母の膝が金属製になる日のこと
  • 高校に入学したとき一番がっかりしたのは、クラスに可愛い子が一人もいな..

    高校に入学したとき一番がっかりしたのは、クラスに可愛い子が一人もいなくて 2年生になってクラス替えをしたらむしろ状況は悪化して。 うちのクラス、ブスばっかだな。。とクラスの男子も同意見だった。 ブスだなと男子同士ではいっていても、クラスの女の子と気軽に口を聞く習慣も勇気もなかった。 共学なのに、ただ一緒にいるだけ。 でも性への関心だけは異常なくらいあったので、好きなアイドルの写真をみては こんな子、うちの学校におらんかな、いたら告白するのになー、と嘆いていた。 そして3年生の修了式前、最後の授業が終わったときのこと。チャイムが鳴って やった、これで卒業だと解放感で自然に笑顔になった。 ふと、隣の席をみると、隣の女の子も満面の笑顔で、自然に目があった。 終わったね! 終わっちゃったね。高校生活。 その子が話しかけてきた。 ばんざーいって感じだよ、と 返事をした。 あっという間だったね。高校。

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  • 中3の頃、陰キャ優等生だった俺だが、地域のお祭りか何かがきっかけで不良..

    中3の頃、陰キャ優等生だった俺だが、地域のお祭りか何かがきっかけで不良グループとちょいちょい付き合うようになった 不良たちは午後になると早退して学校の近くのメンバーの家に集まってダラダラと過ごしていた 日家屋のたぶん蔵を改造した離れの二階がそいつの部屋で、たぶん20畳くらいの和室 一階はガレージになってて仲間の原付やバイクがいつもたくさん止めてあった 和室はタンスとか棚とかで一応2つにスペースが分かれていた 奥の方はいつも何枚もの布団が敷きっぱなしで、そっちにでかいテレビゲーム機とネットに繋がるパソコンと大量の漫画があり 男たちはこちらに集まっていた 手前の方には学習机と応接セットと熱帯魚の水槽があって そっちにはいつも女子が集まって雑誌読んだりでかい声で談笑したり化粧の研究をしていた 俺含めて最低5人、多いときだと12人くらい集まってただろうか 俺はちゃんと授業受けてから放課後そこ

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  • 14年間引きこもっていた俺が外に出た

    高校を中退してから14年間引きこもり、ついに32歳になった。 いい加減はてな匿名ブログにも飽きたし、そもそもネット自体に飽きていることに気づいた。 そこで外に出てみることにした。 外に出てくる、と母に言うとびっくり仰天して涙をポロポロ流していた。まじまじと顔を見ると随分老けている。 最近は夜中に起きて冷蔵庫を漁る生活だったので、そういえば母の顔を5年ぐらい見ていないのだった。 なんだか気まずくなってパジャマのまま外に出た。 そのまま道端をあてもなく歩いていると、なるほど面白い。 というのも春の時分だったのでタンポポが咲き誇っている。 そう言えばタンポポを見るのなんて当に久しぶりだ。母の顔以上に見ていない。そう考えてタンポポをただひたすら見ていた。 よく見れば葉っぱのギザギザや黄色い花びらの形など、いくら見ていても飽きない。ついでに隣に生えていた雑草もじっくりと観察した。誰かに踏まれていた

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  • 子が死んで楽になってしまった

    子、発達障害の診断はないんだけど、いわゆる「手のかかる子」で、療育なんかにも通わせていた 手のかかる子だった 走り回るわ、叫ぶわ、飯はわんわ、預けたら他の子と喧嘩するわで、すごかった それで、ある日どうやってか家を抜け出して、交通事故で死んだ メチャクチャ楽になってしまった そりゃ最初は悲しかったんだけど、1年経って、冷静に考えてみて、子の死がプラスかマイナスかっていうと、正直ややプラスな気がしてならない 楽になったんだホントに 問題はもう起きないし、子の将来のこととか考えなくていいし、金は余る ぶっちゃけ嫌いだったんだよな、子…… 愛情というか、愛着は当然なくはなかったけど、クソガキが!死に晒せ!と思うことのほうが多かった 実際死に晒した 喪ってわかる大切さ、なかった ああ楽になったな……という気持ちがマジで強い 週末、夫婦でゆっくり過ごせるのが楽すぎる ただ、対外的には悲劇っぽさを出

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  • 大学時代に日中韓で三国交流をしていたんだが

    大学時代にファミレスでバイトしてたんだけど、深夜帯の時間でよく被る韓国人と中国人の留学生と仲良くなった。高校時代にネットの嫌韓や嫌中に毒されてて当初、キッツイな、レジの金なくなったら俺も疑われんのかな、とか申し訳ないが思ってしまっていた。しかし話すと良い奴らだった。大学も同じだったため、すぐに仲良くなった。客のこない時間帯は事務所でコーラとタバコを楽しみながらダベるのが定番だった。 中国人はジェイ。なんでも中国では英語名を自分や友達同士でつけ、それで呼び合うのが一般的だそうだ。中国のやばい倍率の大学受験に落ち、日に留学してきた。俺らの通ってた大学は都内の私大だが、中国では東大に次ぐ大学として見られており箔がつくとのこと。親父が共産党員&国営企業の幹部で超ボンボンだった。ただ金の使いみちにうるさいため自由に使える金が欲しくてバイトしていた。大いだったが、生物が無理で寿司がべられなかった

    大学時代に日中韓で三国交流をしていたんだが
  • 奇跡が起きるのは思っているより多いのかもしれないという話

    俺は海沿いの街で暮らしていて、二日に一度くらいの割合で仕事が終わってから浜辺に焚き火台を出して一人で何時間も火を焚いているという、あんまり頭の良くない趣味を持っている。 職場から家に帰ってきて焚き火台と薪を持って浜まで行くと、始められるのがおおよそ19時過ぎで、何回もやっているくせに木が炭になる時間の感覚がいまいちつかめないのもあって、「俺はいま焚き火をやってるな」と実感できる数の薪を燃やしていると綺麗に燃え尽きるのが21時半ぐらい、それからようやく夕飯をべ始めるのでやっぱり馬鹿なんだと思う。 季節で日が落ちるのが遅いけれども、灯りのあまりない海岸なので、20時を過ぎるとかなり暗くなる。自動車が道路を行き交う音と海鳴りが聴こえる闇の中にいるのは俺だけ…では意外となくて、砂浜に降りてくる道のコンクリートで舗装された突端に、よく誰かが二人で座っていたりする。 それは必ずしも決まった人たちでは

    奇跡が起きるのは思っているより多いのかもしれないという話