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増田文学に関するtownphilosopherのブックマーク (2)

  • 人生に物語は要らない

    先日ホッテントリに上がっていた単著持ち増田のエントリを読んで、そういえば自分も増田が原因でを書いたんだったと思い出した。 数年前、初めて増田に文章を投稿したら2000ブクマ付いた。「文才がある」「物書きとしてっていける」とか言われたので、24万字の文章を書いてKindleで出版した。ぜんぜん売れなかった。人の言うことを安易に信じてはいけないと思った。 そのあとまたホームレスになったので(2年ぶり3回目)しばらく福島で除染作業員として働いた。除染と言うと何か特別なことをしているように聞こえるけど、実はただの土木工事である。肉体労働は久しぶりだったけど、小難しいことを考えず黙々と目の前の作業に打ち込んでいると、頭の中の不純物が取り除かれていく感じがした。 そうだ、僕は物書きになりたいなんて思っていたわけじゃない。そんなものは誰かから押し付けられた「物語」でしかない。いままでも「元ホームレス

    人生に物語は要らない
    townphilosopher
    townphilosopher 2017/12/27
    インターネット時代の無頼派。
  • Seven years after...

    高校生のときは受験少女でした。とにかく隙間の時間ができたら勉強。同級生の男は、バカの木偶に見えていました。実際バカだったし。 同じ高校で、学年でトップを争っていた女の子がいました。理系同士で、学年3位だった男の子を遠く引き離して争っていたのですが、違いは容姿でした。私は明らかに太り気味で、もっさりしてて化粧っ気も全くなかったのですが、彼女は容姿明眸で大人びていて、背が高くて手足が長いのに女子っぽい柔らかさがあって、私から見ても綺麗な子でした。もちろん彼女は男子からもモテまくりなのに、私は、毛虫のように嫌われ、陰で「豚めがね」と呼ばれていたようです。 勝負の受験。彼女は東大理二、私は理一を受けました。そうした理由はたった一つで、彼女に負けたくなかったからです。理一の方が理二より偏差値が高かったからです。うちの学校から東大なんてたぶん十何年ぶり、先生たちもかなり気合が入っていました。私の親は、

    Seven years after...
    townphilosopher
    townphilosopher 2014/07/09
    現代のビルドゥングスロマンと言えなくもない。書き手でなく社会が病んでる。
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