○江戸時代の百姓についての常識的なイメージは、「武士階級から厳しく年貢を取り立てられ、ぎりぎりの生活を 強いられていた人々」というようなものではないでしょうか。そして、これを根拠づけるものとして、五公五民など という厳しい年貢率、そして何と言っても次のような史料があげられるでしょう。 「百姓は財の余らぬ様に、不足なき様におさむる事道なり」(『本佐録』本田正信著ヵ) 「胡麻の油と百姓は、絞れば絞るほどいずる物也」(享保期の勘定奉行神尾春央の言葉とされる) しかし、よく考えてみると、このような種類の言葉を根拠に、それをそのまま実態と理解するのは甚だ危険 ではないでしょうか?以下、具体的な事実をもとに考えていきましょう。 ○教科書には、「農民の負担する税は、田畑・屋敷にかけられる本年貢が主で、収穫の約40%(四公六民)前後 を、米や貨幣でおさめた。その他…これらの負担はきわめて重く、また税は貧富
昨日キリスト教に関するトリビアみたいなニュースが日本でもちょっと話題になった。例えば、読売新聞”ユダ裏切ってない?1700年前の「福音書」写本解読”(参照)。 米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」は6日、1700年前の幻の「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。 イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったからとの内容が記されていたという。 解読したロドルフ・カッセル元ジュネーブ大学教授(文献学)は「真実ならば、ユダの行為は裏切りでないことになる」としており、内容や解釈について世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ。 とのことだが、多少聖書学を学んだことがある私の印象としては「真実ならば」というのはありえないと思う。というか、それ以前に、ユダの裏切りとされている行為そのものが史学的には確立してないと思うのだが、昨今のこのあたりの新
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