ここ数日Twitterの面白さがわからないだとか今更わかったとかいう記事をたくさん見るんだけど、自分がなんでTwitterをあんなに使っているのかよくわからない。あの手の記事を読んでもいまいちピンとこない。気がついたらTwitterに何か書いているという感じで、その場で思いついたネタとか考えたことを書いたりとか、他の人と会話したりしている。それと、意味もなく現在位置とかおはようだとか、授業なうとかねむいとかそういうことを書いている。 他の人の発言もやっぱりそんなかんじで、考えてみれば何のためにFollowして読んでいるのかよくわからない。いちおう大学生として生活しているので同じ大学の人の発言だけを抽出してログを読んだりすれば、大学付近の天気がどうだとか、試験が大変とかそういうことはわかるけれども、せいぜいそれは数十人くらいしかいない。会ったことのある人ですらFollowingの半分にみたな
「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。もうそこからは何もうまれないのでした。さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。おかしなことだ。さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。考えればなにもかも違うように見えたし、でも本当のところはどこがどう違うのかよくわからない。ただ、自分がさびしさにふりまわされていることだ
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