どうもこんにちは!ツリーバ編集長のヒビヤです。 荒川、主に岩淵水門から下流でシーバス、テナガエビやハゼなどの釣りをされている方ならご存じの方も多いと思うが、正式には「荒川放水路」と言う。 かつて現在の隅田川、利根川、多摩川などが台風や長雨の影響で大氾濫を起こし、死者700名以上を出す大災害が発生した事があった。明治43年の事である。 この大災害をきっかけに治水工事が行われ、一極集中する川の流れを人工的に分離するために作られたのが現在、我々が「荒川」と呼んでいる荒川放水路なのだ。 荒川放水路を作るための工事がそれはそれは大変な難工事で期間にして17年、大正2年から昭和5年まで続いたと言う。 岩淵水門から現在は荒川と隅田川に別れているが、元々は隅田川が荒川であり、当時は千住大橋あたりまでを荒川と呼んでいた。それより先が隅田川であった。 当時は今のような工法も機械も安全装備も無い中での工事であり
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