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人生と増田に関するtyshuのブックマーク (18)

  • 子育て終わった!やったーー!!【問い合わせに関する追記】

    7/11 なんかツイッターの有名な方に拡散していただいたようでありがとうございます!!!とんでもないことになってしまった… 子育て終わった開放感で書き殴った日記がこんなことになるとは思ってもみませんでした。 取材に関しては、別の媒体で内容を掲載されることで息子に微妙に違ったニュアンスでこの日記の内容が伝わってしまうもしれないリスクがあるので申し訳ありませんがお断りさせてください。 ひぇーーーー!なんかめちゃくちゃ読まれてる!!今更恥ずかしい!! お祝いのコメントありがとうございます!!! めちゃくちゃ嬉しいです!!! 子どもはインスタとかビーリアル(ビリアル?かどっちか)をちょっとしかやってないらしいし、仕事に関する勉強で忙しいらしいからこの日記も読まれないと思ってはいるけど、もし読んじゃったら教えてね!!! 私が当は愛せるか分からなかったし子供産むの怖かったって話はちょっと前チラッとし

    子育て終わった!やったーー!!【問い合わせに関する追記】
  • 浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..
  • ゴリラに育てられた4年間の話

    小学3年から6年までの間、担任がゴリラだった。 もちろん正確には人間だったんだけど、なにせガタイがよく、振る舞いもゴリラのようだったので、生徒たちには「北ゴリ」と呼ばれて親しまれていた。 北ゴリは草履を履いて生活し、機嫌がいいといつのものか分からない昭和歌謡を歌い、毎日マウンテンバイクで隣県の家から学校に訪れては、日が暮れるまで体当たりで子どもの相手をした。すべてが風変わりなゴリラだった。 北ゴリの授業は自由だった。彼はゴリラらしく、われわれ小ザルにもわかる作法で勉強を教えてくれた。 算数で体積を習った日の宿題は、いっぱいに張った風呂に頭まで浸かって、減った湯の深さから自分の体積を計算するというものだった。 比率の授業には、醤油と酢と油を持ってきて、一番おいしいドレッシングの比率を計らされた。 円周率を初めて知る日には、コンパスで引いた円に沿って糸をなるべく正確に張りつける遊びをして、その

    ゴリラに育てられた4年間の話
  • 新婚旅行から帰った夜

    1週間ほどハワイ旅行に行ってきた。新婚旅行だ。 時差は19時間だが、実用的には5時間違うと思っておいて良い。 ハワイから日に戻るときは、5時間だけ昼間が長くなる。 飛行機の中では時差ボケ解消のために寝ずに起きていて、夕方に日についた。 余分な年休は取らずに明日から仕事だ。 新婚旅行に行かない/行けないカップルがいるのも知っている。行けるだけありがたいと思っている。 金はともかく、休みをもらえたのは当にありがたかった。 休みの間は、上司が代わりに働いてくれることになった。 「休みの間は一切仕事を忘れていいから」と言ってくれた。ありがとう上司。 行先は嫁の希望で決まった。 嫁は英語が一切わからないというので、多少なりとも日語が通じる場所が良かったらしい。 テレビでハワイのおすすめスポット紹介みたいなのを見るたびに、 どーせ楽しんでるのは撮影してるお前らだけじゃねーか、とかよく分からない

    新婚旅行から帰った夜
  • 中古嫌いがリサイクルショップで働いた話

    私は中古が大嫌いなのにリサイクルショップで働いてる。 でも最近は思うところがあって、長くて恥ずかしいからここに吐き出す。 誰かが使い古した物を、家にいれるなんて信じられない。 私は物には思い出や気持ちがつまるもんだと、気で信じている気持ち悪い人間なので、誰かの思い出がつまった中古が気持ち悪い。 中古の品をみると、元の持ち主の顔を想像してしまう。どんな人生を送っていたのか考えてしまう。 そんな私がリサイクルショップで働いてしまった。家から近くて通うのが楽だから、とかいうダラけた理由で。 買うのも気持ち悪いが、売るのも気持ち悪いと思っていた。 自分の思い出や人生がつまったものを、いらないからと売りに来るのだ。そして誰かが私の過去がつまったものをまた使用する。それが私にはゾッとするのだった。 売りに来るもので一番理解できないのがぬいぐるみ。 ぬいぐるみなんて、一番思い出のつまるものだろう。 売

    中古嫌いがリサイクルショップで働いた話
  • 何がしたいのか分からないまま人生が終わった

    小さい頃から逃げてばかりいた。 近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。 家の中でばかり遊んでいた。ゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビはアニメか特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマや歌番組には興味がわかなかった。 幼稚園と小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。 教室にいると何が飛んでくるかわからないから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからないから、まばたきするのも怖かった。 このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないとい

    何がしたいのか分からないまま人生が終わった
  • ピンクリボンなんか糞くらえだ

    二十代後半で乳がんが見つかった。 乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。 だからしこりがあるのも普通だった。 二十代半ばをすぎたころから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、 よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。 巨乳にあこがれて、理想はEカップだったけれど、長い間Cカップだった。 がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。 Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、 しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。 私は医療系の国家資格を持っている。 きちんとした専門の大学に行き、大学院にも通った。 大学院の同期と後輩で海外旅行へ行った。 自然と乳がんの話になり、乳がんは肉まんの中に梅干しのタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言っ

    ピンクリボンなんか糞くらえだ
  • アラサー独女の片思い

    数か月前に私の職場にきた27歳男性。 物静かで滅多に笑わないし、あまり感情の起伏が見られないので最初はとっつきにくかった。 まあ研究職だし、典型的な理系男子だわ、と思って特に何の感情も抱かなかったんだけど、ある日彼が手作り弁当を持ってきた。尋ねてみると自分で作ったらしい。 正直彩りがいまいちで茶色が多めの弁当だったが、「男性で弁当作ってくるなんて偉いなあ」と思った。 毎日昼が一緒になるわけではないんだけど、気づいたときに彼の弁当を見て見ると、日に日にレベルが高まってきていることに気づいた。 最初はほぼ茶色だったのが、今やハンバーグやらプチトマトやらが登場し、彩りが明らかにグレードアップしている。 尋ねてみると、最初は節約のために作ってたが、だんだん楽しくなり短時間でいかにおいしく美しく作れるかを試しているそう。ハンバーグもタネから手作りしたらしい。 私があまりに美味しそう、と連呼していたら

    アラサー独女の片思い
  • かーちゃん

    かーちゃん、酒すげー飲む。 若い頃から強かった。チャンポンなんて当たり前、ワインも焼酎も日酒も、なんだってがばがば呑んでた。ビールはあまり好かないようだった。 酔っぱらってるところなんて、30年ほどで一度も見たことがなかった。 でも、ここ数年。かーちゃんすげー酔っぱらう。 肝臓弱ってるんだよ、当たり前だよかーちゃんもうすぐ赤いちゃんちゃんこ着る年なんだから。 でも言ったって聞いてくれない。焼酎のお湯割りをあともう少し薄めてほしいのに。 自分はお酒が飲めないからわからないけど、よく売ってる緑の瓶のやつは下手したら半日でなくなる。金色の瓶のも同じ。 せめて2日もたせてほしい。飲むなとは言わない、この際飲まないのは無理なんだから。だからせめて、ゆっくり飲んでほしい。 アル中じゃないって言う。 実際、飲んではダメな日は飲まなくても普通だから、そうなのかもしれない。 ただその代わりにタバコは吸う。

    かーちゃん
  • 笑っちゃう

    「私、お父さんのこと好きなのよ」 夕飯後、テレビを観ていると母が唐突に呟いた。 母はあまりそう言うことを口にする人ではなかった為、私は内心とても驚いた。 「知ってるけど」 「そうなの?」 「そうじゃなきゃ、私が生まれてないでしょ」 母の反応が面白く笑ってしまった。 「ああ~それもそうなんだけどね。お父さん、絶対に私のこと見つけてくれるの」 「どういうこと」 「はぐれた時とか、私が写ってる集合写真を見た時とか、真っ先に見つけてくれるのよ。大したことじゃないかもしれないけど、それが凄く嬉しくて」 「それは嬉しいでしょ」 「見つけてもらって嬉しいのは私の方なのに、お父さんの方が嬉しそうな顔してるの。笑っちゃうでしょ」 それを「幸せ」と言うんじゃないだろうか。 「言えばいいのに」 「誰に」 「お父さんに」 「ええ~それは無理」 「酷い。明日にでも言いなって」 「考えておく」 空になったコップを持ち

    笑っちゃう
  • 昔の話だけど、後に夫になる人と付き合いだしたとき、はじめて一緒に見た..

    昔の話だけど、後に夫になる人と付き合いだしたとき、はじめて一緒に見た映画は彼のチョイスで「マトリックス リローデッド」だった。私は前作の話もうろ覚えだったこともあり、さっぱり面白くなかったのだけど、彼はあれが良かっただとかあのシーンはなんたらの映画のオマージュでこれこれな意味だろうとか、とにかく楽しげに感想を話していた。 こんなにつまんないものを楽しめるとは大した人だなと感心して、一緒にいたらこれからも楽しいかもなとトキメいたのをよく覚えている。 それから10年以上たって、結婚して子供も産まれた最近、BSでマトリックス一挙放送というのがあったので、確か好きだったよなと思い録画しといてあげた。 子供が寝たあとヘッドホンで映画を見るのが我が家の定番だが、夫は久々のマトリックスを見ながら「やっぱ二作目はいまいちだなあ」などというので、子供が寝てることも忘れて、はぁ!?と声を出して驚いてしまった。

    昔の話だけど、後に夫になる人と付き合いだしたとき、はじめて一緒に見た..
  • 父を気持ち悪いと思った過去。

    先日話題になっていた増田、 「娘が気持ち悪い」http://anond.hatelabo.jp/20161102211759 を読んで、昔の自分を見ているようでとても懐かしい気持ちになった。ちなみに私は娘さんの立場です。 私の父は私にとても愛情深く接してくれました。小学校の時、クラスメイトの男の子とケンカをしてケガをした時、家に帰って来て母親から話を聞くなり、「うぉぉおお!!俺の娘に、何てことしてくれるんだぁぁああ!!」と突如絶叫して家を飛び出し、暫くして「相手の子の家に怒鳴り込もうと思ったけど、よく考えたら家の場所を知らない」としょぼくれて帰って来るような、私のこととなると見境のなくなってしまう、ちょっとお馬鹿な人でした。私はそんな父が大好きでした。 小学校~中学校くらいはそんな父ととても仲良くしていたのですが、私が高校に上がったころ、ある時を境に何故だか父に対し、「気持ち悪い」という感

    父を気持ち悪いと思った過去。
  • 娘が熱を出した夜の気持ちを書きつけさせてください

    私は間もなく30歳を迎えるシングルマザーで、4歳の女児を育てている。その娘が今夜熱を出した。もともと体の弱い子で、熱を出すのは珍しくないのだけれど、今夜の彼女はうんともすんともつらさを口に出さず、寝かしつけようとして体に触れるまで、彼女が発熱していることに私は気づけなかった。 娘の体は当に私によく似ている。体型や肌や顔も似ているし、周囲の感情に敏感なところ、音の刺激を嫌がるところ、その反動か、自分の想像の世界に静かに沈むのが好きなところ。彼女を見ていると、お世辞にも上手に渡れているとはいえない自分の人生を、同じように繰り返してしまうのではないかと怖くなることもある。 私は、「こういう親になりたい」という模範像を持っていない代わりに、「なるべく毒親になりたくない」というのを考える。血を分けた娘が一番の理解者であるように感じてしまうけれど、配偶者がいない心細さを娘にぶつけたくない。かといって

    娘が熱を出した夜の気持ちを書きつけさせてください
  • クローゼットについて

    かつてこんなにも私のクローゼットが素晴らしかったことはないと思った。 ここ2年間服装について私は試行錯誤を重ねた。 普通の女の子だったら10代後半くらいにくるのかも知れないそのビッグウエーブは、20代後半の私に訪れた。 それまで自分の服装というものは社会生活を送る上での必要最低限を満たすものでしかなかった。 オシャレをしようとかお化粧をしようとか積極的に考えたことはなかった。 もともとそれほど自分の容姿に自信があるほうではなく、所得賃金も低く、オタクだったり非常に忙しい仕事をしたり、 とにかくオシャレをしない理由は数え切れないほどあった。 きっかけはそのときの同僚の男の人に「もっと薄い色のほうがモテる」と言われたことだと思う。 それまでの私であればきっとそんな言葉は無視してたであろう。だがなぜかすとんときてしまった。たぶん、所得が大幅に改善したこともあるだろう。 私は次の日から服を買いに銀

    クローゼットについて
  • だめかもしれない

    仕事もひと段落して、ビール飲んで酔ったから書く。 今まで迷ったことはあったけど、それは複数の選択肢でどれにするのかという悩みであって、今とは違う。 今はどう生きればいいのかわからない が死んだ。お腹の子も一緒に死んだ。 あまりに突然で、朝見送ったときはつわりはあったけれども、元気だったのに、死んだ。 病院に行ったときには、もうすでに息絶えていた。 薄目を開いてこっちを見ている。 泣き叫ぶことしかできなかった。 当に、何もかも信じられなかった。 が死んだことも、自分がなんでここで泣いているのかもわからなかった。 嘘であって欲しかった。 当に嘘であって欲しかった。 は子供が生まれるのを心底楽しみにしていた。 ありがちなのかもしれないけれども、生まれる前から男の子でも女の子でもいいように二つ名前を考えた。 女の子だったら眞子はどうかな? あと、男の子だったら春馬は? と。 眞子はいい

    だめかもしれない
  • ケア

    「甘えさせる」とか「優しくする」とか「愚痴を聞く」、「慰める」、「サジェスチョンする」などの心のケアを行う。行ってくれる自分以外の他人。その価値って言うのを低く見積もってるんじゃないのか? これはすごくすごいことだよ(小並) こんなふうに換算するのは無粋かもしれないけれど、1時間あたり数万円が飛んでいってもおかしくないようなケアなんだ。いや、ラポール形成の下準備に期間をかけることを考えればもっと高額になるかもしれない。 いやそんなことはない。馬鹿話をして愚痴を言い合うくらい日常的に友人とやれるだろ? って、それは決してケアの価値が安い理由にはならない。その友人友人との関係がそれだけバリューがあり素晴らしいと言うだけなんだ。(一般論で言って)友人、恋人、家族というのは上記のような金額換算したら誰しもが破産しかねないようなケアを相互にやっているから素晴らしいし尊いんだ。 時に自分は、それに値

    ケア
  • 溢れんばかりの愛を

    友人らしい友人はいない。恋人もいない。今まで友人らしい友人ができたこともないし、恋人ができたこともない。ぜんぶぜんぶ、俺自身に責任というか、原因がある。でもそれを深く追究したことはないし、これからもするつもりはない。そんな、恐いことはしない。ただただこうして、逃げるように友人も恋人もいない人生を歩いていく。 でももちろん、それで満足なわけがなくて、やっぱり友人も欲しいし、恋人だって欲しい。家族はいるけど、それじゃ物足りない、満たされない。 小学生だった頃、よく二人で話していた女の子がいた。友人と呼べる関係ではなかったと、今では思う。あの頃の俺はきっと、その女の子に淡い恋心みたいなものを抱いていた。だってその女の子くらいだったから。俺とそんなにたくさん話してくれるのは。が好きな娘だった。もう顔はよく思い出せないけど、名前ははっきり憶えている。その娘と交わした会話も、いくつか憶えている。毎日

    溢れんばかりの愛を
  • 金持ちになったら

    何時の間にか自分は金持ちになっていた。 正確にいうと小金持ち程度でしかないんだけど、そこそこの規模の会社、それなりの家、それなりの高級車、それなりの貯蓄があると、それを狙って様々な人が擦り寄ってくる。これはサラリーマン時代には決して無かった。一流会社で接待される側の人間であっても経験しないような、擦り寄られ方をされる。 情報誌を買えだの、不動産投資をしろだの、紳士録がどうだのといった眉ツバっぽい電話。 電話番だけやってくれりゃいいのに色目を使ってきたり、ゴマすりが異常だったり、笑顔すぎたり、仕事内容以外でアピールしてくる様々な末端社員。 信用金庫、銀行、農協までが、金を借りてくれ借りてくれとやってきて、フェラーリ買いませんか、ヘリコプター入りませんか、競走馬はどうですか、高級携帯電話屋なんてのも来る。そういやデパートも来た。 電力会社が電気もっと使いませんか、ガス屋がガスもっと使ってくださ

    金持ちになったら
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