入社後すぐに、インターナショナルプロダクトマネジャーとして検索連動型広告事業の国際展開を任され、短期間で20カ国の展開を実現するという厳しい至上命題をクリアし、頭角を現した徳生健太郎。 彼が次に注目したのは、生まれ故郷の日本でブレイクしていた携帯電話。いわゆるモバイルサービスだった。2004年の春から1年ほどかけて準備をし、2005年6月にグーグルによるモバイル検索サービスをスタートさせる。 翌2006年には日本の携帯キャリアとのパートナーシップを実現させるなど、会社の上層部を巻き込むビッグビジネスになった日本でのモバイル検索サービスは大きな収益を生み出し、徳生の名前はグーグル社内で広く知られるに至った。 だがもう1つ、徳生の名を知らしめることになったのは、社内外で大きな話題となったモバイル検索サービスだけではなく、ほとんど同時並行でもう1つのプロジェクトを日本のユーザー向けに推し進めてい