戦時中、笠置シヅ子が恋に落ちた相手は、吉本興業を一代で築いた吉本せいのひとり息子・頴右だった。笠置の評伝を書いた砂古口早苗さんは「息子を溺愛するせいは交際に反対したと伝わっている。笠置が頴右の子を身ごもってからは二人の仲は公認となったが、その後、頴右が結核で急逝し、笠置もせいも悲しみのどん底に突き落とされた」という――。 ※本稿は、砂古口早苗『ブギの女王・笠置シヅ子』(現代書館)の一部を再編集したものです。 吉本の御曹司と出会った笠置は自分から汽車デートに誘った 笠置が吉本頴右えいすけ(1923~47)に初めて会ったのは1943年6月28日だったと、日付まで明確に覚えている。当時の笠置は地方巡業や意に染まぬ戦時増産激励などの工場慰問をしていた頃で、笠置にとって“地獄の日々”だった。そんな頃、名古屋の太陽館に出演することになり、ちょうど御園座で公演していた新国劇の辰巳柳太郎とは旧知のあいだだ