精神分析家としてのデリダ デリダは常に精神分析家の眼差しで哲学者を眺めている。彼にとって、哲学者とは何よりもまず神経症者であり治療の対象である。けれども、生きた生身の人間を治療すべき対象として扱うのは言うまでもなく大変に無礼なことだ。ましてや医者でも何でもない人間にお前はヒステリーだと言われ、治療が必要な病人として扱われたらふつうは怒る。だが、生前のデリダは勇敢にもその種の無礼を何度となく働いて相手を激怒させてきた。例えば、フーコー*1やサール*2との論争などはその典型例である。要するに、生者に対する精神分析はイヤラシイのだが、もちろんデリダはそうした"治療"が不可避的に孕む背徳性を十分に承知していた。自分と同時代を生きる人々について語るとき、彼がどこか遠慮がちに見えたのは多分そのせいだろう*3。 それに対して本書『精神について』(1987年)でデリダが取り扱うのはハイデガーである。当時、