2011年11月17日 車輪について 2011年11月16日 大船鉾考証 御神体の鎧のゆくえ 2011年11月15日 木部材料について 2011年11月13日 大船鉾考証 最後尾の意味 2011年11月12日 お火焚き祭 「長刀が先頭、べったが船鉾、あとは籤で決めるんや」 山鉾町界隈に住んでいれば幼いころに1度は聞くであろう文言ですね。そう聞いた子供は程なく山鉾巡行を目のあたりにして、山鉾の迫力に圧倒されながら巡行順を確認し、いつの間にか「船鉾=最終」を違和感なく受けいれてゆきます。 「べったは船…」「最終を飾る船…」あまりにも常套句化していますが、ちょっと待って下さい。なぜ最終が「船」でなければならないのか?疑問を呈したことはありませんでしょうか。前祭も後祭も最終が「船」でなければならない理由。7日も14日もその船に神功皇后をお祀りする理由。なんだか謎ですね。四条町ではこの問いに対し、大
2010年06月27日 京都の話題「大船鉾」 (4) カテゴリ:山川草木国土悉皆成仏 もう直ぐ祇園祭が始まります。 その京都で話題になっているのが、「蛤御門の変」で焼失した「大船鉾」が再建されようとしている事。 現在、山鉾巡航の取りを飾っている「船鉾」がありますが、この「大船鉾」は二回り程大きな鉾であったらしいのです。 祇園祭は本来、鉾の巡行が前(さき)の祭と後の祭の二回あり、前の祭の掉尾を飾るのが現在残っている「船鉾」そして後の祭りの掉尾を飾るのが焼失した「大船鉾」でありました。 それぞれ「出陣」と「凱旋」を意味します。 「蛤御門の変」で焼失したのは本体だけ、御神体の「神功皇后の面」や調度品は焼失を免れていたのです。 鉾町である「四条町」では再建を期して、お囃子も復活大船鉾本体の復活を目指して、来年から本格的な活動に入る事が決まりました。 京都新聞では、焼失前の大船鉾を描写した掛軸が下京
20日は大船鉾にとってはとてもタイトな一日です 午前10時から清祓いの御祭(きよはらいのみまつり)を催行 10時50分からは車輪を入れて南北100メートルほど鉾を 動かす「車掛け」を行います 車掛けののち鉾の懸装品を付け15時から曳き初め(ひきぞめ) 曳き初めが終わると鉾を埒(らち)で囲み、駒形提灯を建て、 会所飾りを施して宵山を こうして大船鉾の長い一日が終わりました 宵山は23日まで 厄除け粽を始め、勝ち守りなど多くの授与品を用意しております また、祇園祭山鉾では数少ない直筆の御朱印もあります 是非四条町大船鉾にお立ち寄りください
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