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文章と増田に関するuturiのブックマーク (5)

  • 謝罪文や反省文を弁護士が作文することについて

    今は刑事事件やっていないが、登録してから数年は国選を年20件くらいやった。最初の就職地は首都圏ではあるが支部管轄だったので国選がかなり回ってきて、民事が手薄な新人には重要な収入源だった。 被疑者国選のほとんどは自白事件なので情状弁護をすることになるが、過去は変更できないから犯情事実でできることは少なく、したがって理論上は量刑に与えるインパクトが最も小さい一般情状の、さらにその中でも示談・環境調整・反省が仕事の中心になる。示談によって被害の回復を図り、環境調整と反省によって再犯防止を図り、これらの事情を起訴・不起訴の判断や量刑に反映させるのが仕事である。 謝罪文や反省文というのは、被害者を慰撫して示談の可能性を高めるツールであると同時に、人の反省の深化・具体化を促すとともにそれを証拠化するツールでもある。というか、すばらしい謝罪文があるから示談できたなどということはまず無いので、主な目的は

    謝罪文や反省文を弁護士が作文することについて
    uturi
    uturi 2024/04/06
    深化した反省を文章にまとめる、という段階でAIを使うならば問題ない気もするが、現時点ではAIに容疑者へのインタビューはできないからなぁ。弁護士がインタビュアー兼カウンセラーになるのは不思議な気もするが。
  • 悲鳴を上げるのにも才能が要るということ(追記 #1)

    増田人生の悩みを打ち明けても、ブクマやトラバに助けられる人ばかりではない。 多くの場合は無視か、正論で殴りつけて日々の憂さ晴らしに使われるだけだ。 匿名で面識のない人を親切にも救おうとする人は少ない。 それでも救いたくなるとすれば、その悲鳴に聞き覚えがあったからだと思う。 きっと、たまたま過去の自分や大切な人の叫び声に似た周波数だったのだ。 私も自分に合う悲鳴を耳にした時は、わざわざ長文で応えてしまったりもする。 他人様にアドバイスできるほど自分の人生はうまくいっていないくせに。 このあいだ、増田で悲鳴を上げた。 もう生きていられないと思って、 どうせ死ぬのなら最後に何か書き残そうと思いついて、 自分の状況や何がどう苦しいのかを書き殴った。 もう消してしまったけれど、吐瀉物のようで見るに堪えなかっただろう。 結果、数行のトラバで2発殴られた。 「甘え」「自己責任」「さっさと死ね」 よくあ

    悲鳴を上げるのにも才能が要るということ(追記 #1)
    uturi
    uturi 2018/04/17
    “そんな状態でも誰かの心を射抜けてしまう、鋭い周波数の文章が出せるということ。悲鳴を上げる才能ってそういうことだ。” それは単に文学からの観点だけでは
  • トイアンナ氏の呪詛は、クリスマスに対してあまりに無力だ

    さあ、楽しいクリスマスが目の前だ。 トイアンナ氏が4℃を好む女性をdisってほんまチョロいわーとかホクホク顔してるだろうから、カウンターを当てておこう。 アレは呪詛なのだ。凄まじい怨念のこもった記事なのだ。 きちんと解説するから、「なるほど、メリークリスマス!」と言って笑って忘れよう。 2016/12/21(水)に公開する嫌がらせさて、あの記事は狙って公開している。 今年は、23(金)、24(土)、25(日)の連休になってる。 そうすると、2016年12月22日(木)はいわゆる週末になる。 すると、まさにドンピシャでホッテントリ入りして目に触れさせるなら、前日夜公開が良い。 だから、2016/12/21(水)に記事を公開し、はてブが集まって22日(木)の祝前日にトップに躍り出た。 最も効果的なタイミングを狙って呪詛を放つ。 通勤中、昼休み、帰宅時、全てのタイミングで呪いをかけようという執念

    トイアンナ氏の呪詛は、クリスマスに対してあまりに無力だ
    uturi
    uturi 2016/12/23
    “disるときのテクニックとして、オススメを言わないってのがある。”
  • 「文章が下手ですみません」にいらっとする

    文章の最後に「文章が下手ですみません」とか書いてあることがある。これにいらっとする。下手だとわかっているなら書き直すべきだ。下手な文章を読ませるのは失礼な行為であり、読み手の時間を奪う行為でもある。最低でも書き直すべきだし、もっと言えば、上手な文章が書けるよう、日頃から練習すべきだ。 そして、日頃十分に文章の修練をし、当該の文章を十分回数推敲して丁寧に書き上げたならば、「文章が下手ですみません」などという弁明は要らないし、そもそもそんな言葉は出てこないはずだ。自信と責任をもって、堂々と相手に読ませられるはずだ。 要は、「文章が下手ですみません」にいらっとするのは、 日ごろ鍛錬を怠っていて その文章も明瞭に書く努力を怠っていて、 つまり、「文章が下手ですみません」とは心から思っているわけではないのに、 文章の最後に取ってつけたように「文章が下手ですみません」と書いて許してもらおうというさも

    「文章が下手ですみません」にいらっとする
    uturi
    uturi 2016/11/29
    フヒヒwwwサーセンwww
  • 蔑称が嫌いだ

    ウジテレビ、アカヒ新聞、チョンなどの蔑称を使う人がいる。 それはその対象のものに正対することができず、うがった見方しかできないということの証拠である。 その人が書く文章は読むまでもなくさげすみ、おとしめる内容で、かなり一方的な偏った内容となる。 だから文章に蔑称が出てきた時点でそれ以降読まないようにしている。 私は蔑称を使わない。蔑称が嫌いだ。 しかし特定の人が蔑称を使うことで、その人のかなり偏った思想が見えてくることもある。 蔑称があることでその文章を読まなくて済む。 そういった意味では蔑称が好きなのかもしれない。

    蔑称が嫌いだ
    uturi
    uturi 2016/02/02
    この手の別称って『批判したい人たちの間だけで通じる内輪な単語』だからなぁ。だからそういう単語が出てきた時点で「これは社会に広く知らしめたいわけではなく内輪で楽しむための文章です」という意思表示になる。
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