日本では少子高齢化や出生率の減少が問題視されており、ニュースでも度々取り上げられています。 こうした問題は大きくまとめて「人口問題」と言われます。 とはいえ、日本では人口問題として取り扱われるケースが少ないため、言葉自体をはじめて聞いたという方もいると思います。 そこで今回は、人口問題とはどういった事象を指す言葉なのかとともに、日本での人口問題、世界での人口問題など、網羅的に紹介します。 人口問題とは人口問題とは、人口から生じる様々な社会問題を指します。先進国での少子高齢化や出生率減少、開発途上国での人口増加による貧困問題や環境破壊などが人口問題として挙げられます。 人口減少・人口増加のどちらにも問題を抱えるそもそも、人口問題とは人口によって生じる問題を指しているため、人口増加・人口減少の両方とも該当しています。 日本で人口問題をテーマにすると人口減少がよく取り上げられるため勘違いしてしま
差別と迫害の歴史 ロマはインドを発祥の地とし、6~7世紀から移動を始めたと言われています。彼らは現在、ヨーロッパを中心に世界中で暮らしています。 全人口はおよそ800万人〜1200万人です。「ロマ」は従来、「ジプシー」などと呼ばれてきた人たちです。彼ら自身は「ロマ」「ロマニ」と呼称しており、ここでは「ロマ」とします。 彼らの長い歴史のなか、周囲の無理解やエキゾチックな風貌から、「流浪の民」といったロマンティックでステレオタイプなイメージで語られたり、いわれなき憎悪によって差別的に扱われ、迫害されてきました。 奴隷としての500有余年と、ホロコーストによるジェノサイドは、その不幸な歴史の典型例です。ナチスはユダヤ人に対してと同様、ロマを迫害しました。しかし、ユダヤ人の悲劇に対して、ロマの悲劇は忘れ去られた歴史です。 また、コソボ紛争ではアルバニア人の死体処理をさせられるなど、周囲の民族はロマ
【合同インタビュー】名匠イ・チャンドンが認める新鋭ユン・ガウン監督、少女たちの成長物語を描く「わたしたち」の撮影秘話を語る “いじめ”という目に見えない悪魔に、少女たちはどう向き合うのか。人生で初めて経験する友情、裏切り、嫉妬、すべての感情に戸惑い、葛藤する子供たちの姿を生き生きと鮮烈に映し出し、日本でも「第17回東京フィルメックス」で観客賞などトリプル受賞の快挙を成し遂げた韓国映画「わたしたち」。 イ・チャンドン の最新ニュースまとめ 「オアシス」、「シークレット・サンシャイン」の名匠イ・チャンドン監督が見出した新鋭ユン・ガウン監督が、自身の経験を元に描いた本作は、誰しもが通り過ぎてきた子供の世界を通して、いじめやスクールカースト、家庭環境の格差など、現代が抱える社会問題を盛り込みながら、他者とのつながりの中で生きる「わたしたち」の関係について問いかける。 主人公ふたりの少女を演じたチェ
人生の苦しさって煎じ詰めると「肉体レベル」「他者と私」の二つしかない。 肉体レベルというのは健康のことで、病気・怪我・老い等々。 他者と私というのは、劣等感だったり、怖い他者、憎い他者、承認欲求の満たされなさ等々。。 メンタルヘルスは脳という肉体の問題 半世紀生きて、うつ病で心神喪失になったり、なんども会社を辞めたりした私だが、これって「他者・社会の問題」であるように思ってきたけれど、主因は「脳という肉体の脆弱さ」なのであって、他者は「起因」に過ぎないんだな。これが腑に落ちるまで時間がかかったけれど、同じ環境下で過ごしたり働いたりした人間でも、メンタルヘルスに必ず問題が生じるかというとそうではない。 親や身内や配偶者、教師や上司を己の苦境の原因だと恨み悔やみ怒っている人って多い。俺もそうだ(過去形にはしない)。でも同じ環境下で過ごしても笑っている人もいるし、幸せになっている人もいる。親を恨
コミュニケーション能力の低い人間は世の中に必要ないと世間は言っているような気がするし、「お前だって人格に問題のある人間に話しかけられたら嫌だろう?」と世間様から問いかけられたら「その通りですね」と返してしまうだろうし、実際そんなめんどくさい人間は排除した方が生活は楽になるだろうなとも思うし、いや、少し言い方を変えよう、いわゆる「距離感がバグってる人間」と、お前は、世の中は、コミュニケーションを取りたいと思っているのか? そんな人間いるわけない、いるわけがないよな、たとえば「あなた」はどうだ、「あなた」は避けるよな、そんな得体の知れない人間とは関わりたくない、それは何にも間違っていない、正しい、なんて正しいんだろうか、では「わたし」を避けない人間はどこにいる? 「わたし」と向き合ってくれる人間はどこにいる? そんな人間、どこにもいないのではないか? このことについて考えだすと、僕は世間から「
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人権問題の最前線で戦う活動家が、そのまなざしで動物たちの現状を見つめたら、どのような展望が開けるか――。生田武志氏の新刊『いのちへの礼儀―国家・資本・家族の変容と動物たち』(筑摩書房、2019年)は、そのような試みが持ちうる一つの可能性を示している。本書は大阪・釜ヶ崎の日雇労働者・野宿者支援活動に長年取り組んできた著者が、《国家・資本・家族》という三極構造の変容を軸に、人間動物関係の歴史と現状を分析し、あるべき未来を模索する意欲作である。 議論の出発点は人間による動物の扱いをめぐる古典的な問いにまとめられる――なぜ私たちは一方を愛し、他方を食べるのか。すなわち私たちは犬や猫といったペットを愛しつつ、牛や豚や鶏といった家畜たちを食べる。この当然視されている、しかしよく考えれば奇妙というべき動物たちとの関係に著者は改めて光を当て、犬猫の社会的な位置づけの変遷や肉食の文化史を追うことで、動物たち
ワキ毛──剃るも剃らぬも私の自由!? 文=金 友子 フェミニストか、と聞かれても、自信を持ってそうとは言えない。一時、専攻は何ですかとの問いには「ジェンダー研究」と答えていたが、実際に「研究」をしているかと言われると、これまたそうではない気がする。そしておそらく、ジェンダーについて研究することと、フェミニストであることとの間には、少なからぬ溝があろう。一方は単に研究分野について述べているだけ、もう片方は「主義者」であるがゆえに、その「主義」にもとづいた生き方が問題となる。 しかしながら、「主義」を貫き通して生きるのはそんなに簡単なことではない。周りとの衝突・葛藤は避けられない。勉強するとは、ものごとに対する別の見方を養い、別の生き方を考えること、つまり「普通」を問うことだと私は考えているが、そんな風に勉強して「普通」の生活――結婚して、子供を産むような――を送ろうとしない私に対して親や親戚
5年間ぐらいわき毛を剃ってない。最初はフェミニズム的だなと思ってた。振り返ると、自分はナイーブで、いい動機だと思ったからすぐに流れに乗ったのかも。でも、今ではフェミニズムとわき毛を生やすことが必ずしも同じことではないってもちろんわかってる。フェミニストで体毛がない人もいれば、ある人もいる。個人的な問題だから人には関係ない。そのあとはめんどくさいからそのままにしてた。私がなぜわき毛を剃らないかというと、ちゃんとした理由はない。でもそれでいい。自然なもので、そこにある。ただそれだけ。 私は物心ついたときから高校を卒業するまでずっと水泳をやっていて、部活のときに見えてしまうわき毛、体毛が恥ずかしくて2日に一度は処理をしていました。それが当たり前でしたね。わき毛を剃らなくなったのは海外アーティストのインスタグラムがきっかけでした。わき毛ってこんなに可愛いの!?って。それからです。好きな日本人モデル
太古の昔より、女性はムダ毛の処理をすべきだという考えが浸透していた。たとえば紀元前2年には、ローマの詩人、オウィディウスが、女性の脚の毛は薄い方がいいと発言したという。この風潮は1400年ごろのルネサンス期になっても変わることはなく、当時は体毛がないことが地位の象徴だった。それを裏付けるかのごとく、この時期の芸術作品に描かれている女性と女神に、体毛は描かれていない。近代においては、女性ファッションの変化がムダ毛処理の普及を後押ししていく。1915年、ノースリーブドレスの流行により、わき毛の処理はもはや常識となった。 さらに最近、ありのままの美しさを受け入れるという意識が広まるにつれ、ムダ毛を処理せずそのまま残していくという女性が増えている。2013年には16〜24歳のアメリカ人女性の95%がわきの脱毛をしていたのに対し、2016年にはこの割合が77%に減少した。脚の脱毛をする人の割合も同様
2020年6月6日 16時0分 リンクをコピーする by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 新型コロナ禍によっての真価が暴かれたと筆者がつづっている あらゆる人物の人間性が試され、化けの皮が次々と剥がれていったと言及 それに伴い、人々は今後「誰と、どう生きるのか」を考えることになるとした 私たちはもう元の世界には戻れない (写真:franckreporter/iStock) コロナ禍が始まって以降、わたしたちの周辺では目を疑う光景が続々と出現している。 デマや流言を真に受けて慌てふためく人々、「自粛警察」を買って出る人々、今も続く「感染者たたき」に血道を上げる人々はもちろんだが、もっと身近なところでは「感染症対策を根性論で乗り切ろうとする経営者」「テレワークができるのにそれを認めず、出社を求め続ける経営者」「テレワークで部下を執拗に監視し、仕事をほとんどしない上司」「在宅の時間が増
もし、あなたが、職場の部下と「最高にいい関係」を築けるとしたら、どんな関係が理想でしょうか。 「言ったことを素直に受け取ってくれる」「笑顔で気持ちよく仕事を引き受けてくれる」……こんな関係だったら、仕事がとてもやりやすいでしょう。 相手が上司でもそうです。「いつもニコニコしていて話しやすい」「やったことをきちんと認めてくれる」……こんな関係だったら、仕事に行くのも楽しくなるかもしれません。 けれども、実際はどうでしょうか。 「最高にいい関係?どんなに想像したって、あのヘンクツ野郎とは分かり合えないよ」……そんな考えが頭をよぎってしまうかもしれません。そして、つい、「最近の若い世代は……」「老害は早くいなくなってくれたらいいのに……」――普通の人だったきっと多かれ少なかれ、異なる世代の考え方や行動に不満を感じることがあるのではないでしょうか。 この記事では、「世代間ギャップが起こる理由」と、
「一人が好き」なのは内向的ではなく、実は「自律傾向が高い人」だった 今回の研究では「一人好き」かどうかを見分けるために「内向的・外向的」といった指標よりも、「自律傾向」といった項目が重要とされました。 この傾向が強い人物は、他者からのプレッシャーに強く、自分の感情や個人的な体験からの学習に関心があります。 そしてそのような人は、そんな「自らに向けられた関心」への欲求を満たすために、孤独を楽しむことができるというのです。 実験の中で被験者には、15分の「孤独な時間」を7日間過ごしてもらい、その後細かなアンケートにその時の体験について回答。その結果、「内向的」な人が「外向的」な人よりも孤独を楽しんでいるわけではないことが明らかになりました。 一方、「自律傾向」において高いスコアを出した人は、そうでない人と比べて孤独を楽しめていることが判明しました。彼らは孤独な時間にネガティブな思考を巡らせてい
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