タグ

lifeと疑義ありに関するvanbraamのブックマーク (5)

  • もうじき40代なかばを迎えるプログラマーの遺言(少し追記)(もうちょっと追記)(さらにもうちょっと追記)

    世の中にはプログラマー35歳定年説というものがあった。昔からそんなのはないという人と、あるという人がいた。40代も半ばになったときに「あぁ、これが35再定年説の根拠か」というものがなんかちらほら見えるようになってきたので書いてみようと思った。 世の中にはものすごいプログラマーというのはやっぱりいる。なんなら死ぬまでプログラミング書いていられるという人たちもいる(ブラック的な意味ではなく)。そんな彼らからしたらプログラマー35再定年説とか意味がわからない都市伝説にしか映らないだろう。 だが、普通に職業プログラマとして生きている俺のような人からすると、この35歳定年説はかなりの真実味を帯びている。 だが、そんな俺でも40代半ばまで延命できたのはやはり技術革新のおかげかもしれないが、結局平均寿命が伸びただけとも言えるだろう。 まず、技術に対する姿勢が変わる。正直言うとプログラミングとかもうしたく

    もうじき40代なかばを迎えるプログラマーの遺言(少し追記)(もうちょっと追記)(さらにもうちょっと追記)
    vanbraam
    vanbraam 2020/11/15
    "悲しいことに自分たちの振りかざす論理が、単なる正論、飛躍、極論、屁理屈、と言ったものであることに気づけない人も結構多い"<これブーメランになるんじゃないかな
  • なぜ本物の酒を飲まないのか

    ワインでも日酒でもウイスキーでも2000円も出せばきちんとした物が飲めるのになぜ酔うための紛い物を飲んでしまうのか

    なぜ本物の酒を飲まないのか
    vanbraam
    vanbraam 2020/02/03
    そもそも"本物の酒"の定義が人によって違う. 酔うために飲んでる人にとっては,純エタノールが"本物"なのかもしれない
  • 35歳を迎えたCTOが35歳定年説について考えた - そーだいなるらくがき帳

    先月、35歳になった。 35歳定年説は「全員に一致する法則ではない」というのは一般的な認識になっている。 前職の同僚で同世代である id:motemen に聞いたところ「そんな事を意識したことなかった」という回答をもらったこともある。 しかし、実際に自分が35歳になると「自分は他人事ではない」という感覚だけがある。 そこで今日はそのことについて考えていきたい。 コードを書くということ コードを書くという行為は年齢関係なく続けていける。 しかし「仕事でコードを書き続ける」となると事情が変わる。 まず費用対効果として自分がコードを書くことが正しいのか?という問題とぶつかる。我々のプログラマーとしての仕事を奪うのはAIではない。いつの時代も 優秀な若者 だ。 そんな若者と比較した時、我々がコードを書くことが若者がコードを書くことよりも費用対効果がある場合はどんな場合だろうか?やはり経験が活かせる

    35歳を迎えたCTOが35歳定年説について考えた - そーだいなるらくがき帳
    vanbraam
    vanbraam 2019/12/01
    費用対効果って年齢では決まらない様な.極論40歳,50歳,60歳でもプログラマーとして優秀な人はいるし,15歳でも優秀ならそれに見合った対価を払うべきだし; "チャレンジ"については同意
  • 『非モテ・KKOは積極性が足りない!もっと自分から声をかけろ!』 「わかり..

    非モテ・KKOは積極性が足りない!もっと自分から声をかけろ!』 「わかりました、好きなタイプの人にアプローチしてみます」 『非モテ・KKOのくせになに高望みしてんの?そうやって自分を客観視できないからお前は非モテなんだ』 「わかりました、レベルを下げます」 『非モテ・KKOに声かけられるのむかつく。こんなのと釣り合うと思われるのは侮辱』←今ここ 「そうですか、じゃあもう付き合ってくれるなら誰でもいいです」 『誰でもいいなんて女性をモノ扱いしている証拠!だからお前は非モテなんだ』 「もうあきらめます」 『非モテ・KKOは積極性が足りない!』

    『非モテ・KKOは積極性が足りない!もっと自分から声をかけろ!』 「わかり..
    vanbraam
    vanbraam 2019/02/25
    一見割と納得感のあるループなんだけど,問題は『』を必ずしも同じ人(々)が言ってるのではないという点かな;KKO知らなかったので調べてしまった
  • 自主性の乏しさが罪になってしまう社会 - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp リンク先を読み、自主性が乏しいけれども仕事が優れている人っているよね、と思った。 出しゃばらず、言われた仕事はきっちりこなし、上司やパートナーの采配次第では抜群の仕事をやってのける人材が、自主性を求められる状況に直面し、困惑して、メンタルヘルスを損ねて来院する……というパターンは精神科では珍しくないものだった。 今では死語になりかかっている感があるけれども、「メランコリ―親和型うつ病」などと呼ばれていた類型の患者さんのなかには、そういうタイプが少なくなかったように思う。フリーハンドを与えられるまではものすごく重用されて、人も報われた感触を得ていたけれども、フリーハンドを与えられた瞬間にマゴマゴしてしまい働けなくなってしまうタイプ。そういう患者さんは2000年頃に比べて減ってしまった。ひょっとして、自主性が乏しいけれどもしっかり働く働き手は淘汰されてしまったの

    自主性の乏しさが罪になってしまう社会 - シロクマの屑籠
    vanbraam
    vanbraam 2018/01/05
    "自主性の乏しい人"の"自分らしさ"という言葉に矛盾を感じるのは私だけ?;百歩譲って仕事では言われた作業だけをこなせば是としても,私生活も人に委ねて生きていくのがその人の望みなのだろうか?
  • 1