1860年代、帝政ロシアは、住む人のほとんどいない極東の沿海地域を入植地として開放し、極貧状態にあった朝鮮半島北部の農民たちの移住を積極的に受け入れた。 移住者たちは、祖国が日本の侵略に苦しめられ、1910年には同国に併合される一方で、ひっそりと繁栄を果たしていた。しかし1937年、ソビエトと日本の国境紛争が悪化すると、スターリンは朝鮮人が日本のスパイとなることを恐れて、彼らを極東からソ連内のカザフスタン、ウズベキスタンへと強制的に移住させ、そこで集団農場を営ませることを決めた。 幾万もの朝鮮人が、ある日突然、荷物をまとめるよう命じられ、窓のない家畜輸送列車に押し込められた。シベリアの厳しい冬に約6500キロを移動する旅は過酷なものだった。土地を追われた人々はやがて、約束された建材も現金の援助も、決してやってこないことを悟った。昔からずっと米を作って暮らしてきた農民たちにとっては、中央アジ
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