小説はフィクションだ。そんなの百も承知だが、ナボコフはその虚構のなかで「ホント」をつく。本当の中にウソを混ぜるから、ウソをウソと見抜けない。 フィクションの中では一貫した「世界」を紡いでくれるかと思いきや、その期待をカクンと外してくる。異なる主格を滑り込ませてしゃべらせたり、延々と現実かと思いきやラスト一行で妄想扱いにしたり、虚構に虚構を重ねてくる。地の文がいつの間にやら恋詩になったり、小説内で小説のプロットを語りだす(しかもそれは、いまわたしが読んでいる奴なのだ!)。 ではウソだらけかというと、そうではない。史実に忠実な描写をたんねんにうつしとることで、フィクションの「中の」リアリティは増すばかり。著者は否定しているのだが、主人公の若い身空とナボコフ自身の運命の変転がものすごい勢いでオーバーラップする。「賜物」の文壇への受け入れなさ加減なんて、文学が現実を予言して的中させた好例だろう。歴