秋葉原の事件、全然考えがまとまらないけどメモ。 現代日本の「世間」様が守り続けるハーモニー、「諧調」にはちゃんと少数者の居場所も確保されている。少数者を「病人」として遇するような居場所。病気なのだから、ケアや対策でなんとかできると思ってる。不平不満の叫び、鬱屈したつぶやきも、全部日常の風景に回収できる。 政治的主張も、「あの人は政治的主張が好きな人だから」のレベルで消費されてしまうから、デモやビラでは諧調が乱されることがない。 十代の女の子が手首を切ったり、赤の他人同士がネットで募って集団自殺しても、ネットという手段が問題にされることはあるけど*1、彼らの絶望が問題になることはないし、自殺なんかで諧調が乱されることはない。自殺はすでに十分多い。 現代の多数派であるところの「自称良識」が担う日本社会というのは、言ってみれば「船上パーティ」のようなものかもしれない。はじめから船に乗ってない人/