地下鉄の出入口は風がつよい。 いままでぼくはそれを、気圧の違いのせいなのだろうとばくぜんと考えていた。東京ドームの入口のように、つねに吹いている風だろうと。 でもある日、友人が意外なことを言った。「電車を降りてから急いで出口に向かうと、強風に会わなくて済むよ。」 なにそれ。なんでだろう。そもそも、あの風はどういう仕組みで吹いているんだろう? (text by 三土たつお)
【特命助手サイトーの前説】 これからしばらくの間、「子ども」をテーマにした話をお届けしていこうと思います。子どもの話というと、身近にいる子どもをサンプルにして、一般論を展開しがちです。実際、僕が尋ねても「(子どもたちが)おかしくなっている」と答える人もいれば、「昔と大して変わってない」と言う人もいます。 こうした床屋談義は、それはそれで面白いのですが、もう少し客観的なデータで見ると、どうなのか。教育改革論が下敷きにしている「青少年の規範が低下している」「少年犯罪が凶悪化している」といった現状認識は正しいのか。広田先生は、早くからこうした言説に疑いの目を向け、安易な<青少年の凶悪化>論に警鐘を鳴らし続けてきました。 誤った現状認識のもとでは、ソリューションもまた誤ってしまいます。果たして子どもは本当に変わったのか? 実は子どもを見る大人の視線が変わっただけではないのか。今回も、皆様からのさま
このシリーズでは、日本の動漫(アニメ・漫画)がいかに中国の青少年の心を惹きつけたかという代表的な例として、90年代半ばに大ヒットした「スラムダンク」や「セーラームーン」を取り上げたが、実は日本に出現した動漫は、どんなものでも全て中国大陸に上陸していると断言しても過言ではない。1981年にさっそうと現れた「鉄腕アトム」は、10年間におよぶ文化破壊と鎖国の中で生きてきた中国庶民に非常に大きな、そしてあまりに新鮮なショックを与えたため、「アトム」はいつまでも煌びやかな希望の星として庶民の心の中に温かく生き続けている。 日本動漫の最初の上陸の仕方がこういう風であったから、入り口の時点で好意的な目で見られているという受け容れ環境が中国にはあった。あれから26年。約30年近い歳月が流れ、中国の発展と進歩には目覚しいものがあるというのに、それでもなお今の若者の心を惹きつけて離さないのはなぜなのか。むしろ
エレベーターの操作が苦手だ。開くボタンと閉じるボタン、どっちがどっちか判らない。焦ると更に判らなくなってしまう。 特に、誰かが乗り込んでくる瞬間が危険だ。迷ってるうちにドアが閉まり始めてしまう。あわてて間違え、閉じるボタンを押してしまう。結果、僕はとんでもなく嫌なヤツになってしまうのだ。 そんな僕だが、最近友人から必勝法を授かった。目から鱗がボロボロ落ちた。今回は、エレベーターの開くボタンと閉じるボタンについてです。 (text by 松本 圭司) ■開くボタンは大抵左側なんだという 友人曰く、エレベーターの開閉ボタンは横並びが多く、そのほとんどの場合で左が開くボタンだというのだ。すると当然、閉じるボタンは右だ。 「えー!全然気付いてなかったー!!」 今まで僕は開くボタンを押したい時はボタンのマークや文字をよく見て、それで押すボタンを決めていた。これがまた、判りにくいんだ。「開」と「閉」は
一時期オープンソースがはやった時期がありましたが、今はどうなんでしょう? 当時はオープンソースでバラ色の人生みたく過大評価されていたような記憶があります。 過大評価は言い過ぎですが、いまこうやってブログをかけるのもオープンソースの おかげであることは間違いありません。 しかし、すべてのオープンソースプロジェクトが成功したかというと、簡単に YES といえないような気がします。こういう話を某エンジニアとしたら、彼も 同じような視点(というかその方の場合は実経験かもしれませんが)を持ってて、 なんか話が盛り上がってしまいました。 その問題点とは肥大化です。オープンソースは誰でもプロジェクトに参加できるのですが、 ディベロッパーの技術もピンキリなため、時にはどーでもいい拡張がコミットされてしまう ことがあります。その最たるものが周辺技術との統合。ホニャララメタデータをMySQLに保存, ○○バッ
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