■2ちゃんねるまとめサイト 31歳彼女(自称漫画家)に別れ話したら「死ね」メールが→話聞いた警官「男2人で会うなら大丈夫」→でも1人で行きメッタ刺しに
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光市事件について、遂にと言うべきか、死刑判決が出た。 この事件について、これまで発言したことはないが、もちろん、折に触れて報道に触れる以上、何も考えないではなかった。いくつかのことを整理して述べてみる。 率直に言って、本村氏の主張については、首肯することはほとんどなかった。ただ、少なくとも、次のようには思う。第一に、その一つ一つのことの中に仮に批判しうる点があるとすれば、具体的にそれを取り出して、検討した上での指摘しなければならない。第二に、仮にそのように批判ができたとして、どうして彼がこのような主張をしなければならなかったかを、踏まえなければならない。つまり、彼は突然にこのような事件の当事者となり、何の準備もないまま、事件に対する態度表明、その理論的正当化、実際の発言と行動、そうしたことをやらねばならない立場におかれた。ゆえに、仮に彼の主張に批判しうることがあるとしても、まずは、過酷な日
「なぜ人を殺してはいけないのか?」 この質問に対する“理論的な”回答をお願いします。 この質問に興味を持ったきっかけは以下の2つのブログ記事です。 http://www.tomabechi.jp/archives/50442579.html http://blog.goo.ne.jp/clean110/s/%BF%CD%A4%F2%BB%A6%A4%B7%A4%C6%A4%CF 必ず理論的な回答をお願いします。 例えば(テーマは違いますが)以下のような記事です。 イエス・キリストを理解してない人たちへ、−(仏陀を理解していない人たちも) http://www.tomabechi.jp/archives/50316486.html
本当は更新しているような時間的余裕は無いのですが、「光市母子殺害事件裁判」に対するあまりに目に余る現在の状況について何か書きたくて仕方ないので寝る時間を惜しんで書きますよ! この裁判での弁護団に対する批判は以前からおこっておりましたが、“凶悪犯罪者(であることを疑われている被告)を弁護する弁護人に対する批判”はこの裁判に限らないことなので、あきれながらも特に何か言おうとは思いませんでした。 しかし、弁護団に対する懲戒請求という単なるバッシングとは違う、現実に強く影響力を持つ行為にまで発展したことに、日本が文明国という立場から滑り落ちてしまうのではないかと思ってしまうような危機感を感じました。 まずは弁護団に対する批判の事実誤認の確認から。 弁護団は死刑廃止運動のために裁判を利用しているのか 「弁護団はこの裁判を死刑廃止運動のためのプロパガンダに利用している」という批判があります。 が、この
これは釣れてるのか釣られてるのか。 →はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):【光市母子惨殺】 元少年「生きたい」「検察、僕をなめないでいただきたい」…弁護団、涙で「こんなに胸を張って弁護できたことはない」 2007年09月21日 dslab 引用の引用の引用である痛ニューをブクマしてdisっている人は、劣化情報に頼ってる危険を認識した方が良いかと。このネタに関しては読むべきエントリが過去に沢山ブクマされている 2007年09月21日 nisoku2 clip この件で弁護団と被告人をバッシングしている人たちはとりあえず全員これを読むように→http://tinyurl.com/yoc7sm/いまだに死刑廃止云々言ってる人はここも(下でもリンク貼られてるが)→http://tinyurl.com/2y2v46 →検察官は、僕をなめないでいただきたい! - 弁護士・人間・今枝仁・・・
先の光市事件差し戻し審の判決は国民一般の感覚に沿うものであり、同時に被害者遺族の感情に寄り添うものであったと一般には言われている。実際、本村氏は判決に対して「納得している」とも語っているし、また、主にテレビからなるマスコミ報道での取り扱いもネット上の多くの声も、この判決によって正義が実現された、被害者遺族の無念が晴らされた、としているものが多数を占めている。 しかし多くの人々がそのように溜飲を下げ、そしてこの事件を記憶の中から風化させていくのとは裏腹に、本村氏の人生はこれからも続いていく。本村氏にとって妻子が殺されたという事実は厳然として残り、そしてこれから僕たちがこの事件のことを忘れようとも、彼は、その事実を背負って生きていかなければならない。 今回の事件について「社会が被害者遺族という存在を発見する契機となった」と評する意見もある。確かにそうなのかもしれない。しかし、犯罪に巻き込まれて
光市母子殺害事件高裁判決の印象だが、率直に言って気が重い。気が重くなるようなことは趣味でやっているブログに書くことはないだろうとも思うし、最近ではそれ以外でも気が重いときや無理にネタを書くことはないなというときは書いていない。ただ、この話については、普通の国民の一人として雑感を書くくらいはしてほうがいいのではないなと思うので、ちょっと書こう。その程度なので、大した議論とかにとらないでほしい。 私は、以前にも書いたと思うが、大阪教育大学附属池田小学校事件以降、死刑廃止論者というほど大それたものではないが、死刑廃止の考えに傾いてきた。理由は以前も書いたけど、死を決心したらなんでもできるというありかたを拒絶したいというのがある。ただ、それについては違うよという意見もあるだろう。あと、先進国は米国をのぞけば表向きは死刑を廃止しているし、米国も基本的に州法の問題になっている。日本も先進国ツラをしてお
かねてより気になっていたことを,つらつらと。取り留めもない話になるけれど。 法律に不慣れな人は,下手に法律を持ち出して議論しない方がいい。べつに「シロウトは法律問題に口を出すな!」というわけではないです。法律は《技巧》の上に成り立っているので,議論の中で使いこなすのは難しいということ。共感を得たいなら,主観的な感情を率直に出してしまった方がいい場面がある*1。 例えば『人を殺してはいけない』とか『妊娠中絶をしてはいけない』といった話をする場合だが,それが「刑法に書いてある」などと言うと厳密には間違いになってしまいかねない。ウソだと思ったら条文の文言を確かめてみて欲しい。 第199条(殺人) 人を殺した者は,死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。 第212条(堕胎) 妊娠中の女子が薬物を用い,又はその他の方法により,堕胎したときは,一年以下の懲役に処する。 http://law.e-g
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