ウノウ株式会社ウノウはそのまま日本語読みすれば右脳(うのう)となります。 右脳は芸術や創造性を司る脳と言われています。 ウノウは、創造力を最大限に生かし、インターネットを通じて、 おもしろいこと、楽しいことを提案していきます。
おたく族という病 という2chまとめ記事。 正論一喝! というblogについての2ch反応。 まあプロキシや「きんもーっ☆」など、やけに詳しい面を見ると釣りっぽくも見えるが、全体としてはいかにも「昔の頭の堅いオヤジ」という体で、好感すら覚える。あまりにおもしろくて、思わず全記事一気読みしてしまった。 もっとも、俺もオタクの一人なので、この人の敵ということになろうがね。 ただ、ある程度の年齢の人にしかわからないだろうけど、「昔よくいた恐い大人」ってのはこういう人だったんだ。俺はこのblogを読んでそれをありありと思い出した。 そう、「威厳ある」「怖い」大人ってのは、実はものすごく無知。新しいものにはついてけないし、間違いを決して認めない。実はものすごく偏狭な人間だったんだ。 昔はそれでも若い者がもっと無知だったから、充分威厳を発揮できた。新しくて理解できないところは、その威厳をもって若い者に
出でよ、新しき知識人 「KY」が突きつける日本的課題 - MIYADAI.com Blog これを現状分析と未来への提言に分けて読むと、現状分析の部分には同感だけど、提言としてはその方向性にやや疑問がある。 現状分析の部分はひとことで言えば「日本人は世代によらず『空気』への依存が強い」ということだろう。「空気」は、共通前提から生まれるが、その共通前提の作り方が世代ごとに変遷してきた。 団塊世代以前の日本人は、日本という国自体の持つ共通前提 団塊世代は世代意識から生まれる共通前提 新人類世代は「分かる奴には分かる」という世代内差異を用いて集合的アイデンティティを構築 それ以降は、共通前提の構築の困難さから「繋がりの社会性」を指向(参考→「繋がりの社会性」は繋がりを指向しない -- Baldanders.info) ということで、その強迫的な共通前提構築への執着が暴走したものが「KY」である
「頭の良くなる家」というものがあると知ったのは、このブログに何回か登場してくれている慶応大学SFCの渡邊朗子助教授の話からだった。渡邊先生は、建築とITの融合領域でユニークな研究活動を展開されている気鋭の学者であり建築家だが、その研究テーマにITによって空間を知能化する「スマートスペース(知能化された建築空間)」という考え方がある。「頭の良くなる家」というコンセプトは、それと似かよっているようにも見えるが、だいぶ意味が異なり、ある面、眉唾っぽい響きさえある 。 渡邊先生の紹介で、「頭の良くなる家」プロジェクトを実際に手がけているエコスコーポレーションの四十万(しじま)社長から直接話を聞く機会が得られた。正直を言うと、最初は半信半疑で四十万さんの話を聞いていたのだが、最後はナルホドと納得させられた。 有名進学中学の合格者の家をフィールド調査 何よりも驚かされたのは、四十万さんが、麻布、武蔵、
#1 「非モテ」「童貞」がどんだけの男女を無気力にさせてるか少しは考えろ もう生きる事に疲れた。非モテが、承認欲求が、スクールカーストが、って言い訳めいた言葉がついた時点で私はそんな文章は読む気がしない。もう疲れた。お前らの首には首輪が嵌ってるんじゃないか。表現するなら人生の「業」でいいだろ。 とかパロディ文章を考えついたのだが、元ネタが長文でここらへんであっさり頓挫。 ネタ元は 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ という記事。 ある個人史の終焉 という記事に対する反応なのだが、まあなんともやるせないこと。 よく見ると そのはてなブックマークコメント にも似たような反応がちらほら。 要するに「俺は結婚して子供を残す可能性なんて無いんだよ、幸せそうな面みせんじゃねえよ!」ということらしい。 ここまでこじらせてるとどうしょうもないとは
可視化手法(最近は「見える化」と呼ばれる)は、人が直接は見えないモノを工夫して見せることによって、モノゴトの理解を促進したり気づきを誘発したりする手法で、経営手法としても有効だと言われている。ナレッジマネジメントの導入効果としても「見える化」は良く使われる。これらの手法については今も多くの専門家達が日々研究をされているようで、実際先日紹介したソーシャルグラフの「many eyes」や「swivel」なんてのもその可視化手法をWeb2.0的な集合知と組み合わせて活用しようという試みの一種だと言える。 さて、そんな可視化手法(見える化)の中で私が今一番注目している(ホント)のがこの「べつやくメソッド」である。思い出などの気持ちや感情は文章(ブログ)よりは円グラフにした方が表現しやすいのでは、というべつやくれい氏の提案である。べつやくメソッドの定義については、4月1日のインプレスのエイプリールフ
人間には二種類居て、ベタに生きる人とメタに生きる人がいる。 ベタな人は実に物事をシンプルに考えていて、感情もしくは感性で動いている人であり、体育会系気質な人や大学のサークルで人生楽しんでそうなタイプがここに当てはまる。精神年齢の面から見て若い。 具体的な行動で物事を証明することが多く、余計なことを考えないため人付き合いやファッションにはとても向いている。要約すると横のつながりに強い。 ただし、長期的な予測には感性の部分を相当磨く必要がある。 一方で、メタな人は体系的・分析的に物事を考えていて、いかに緻密に世界を把握するかを重視している。精神年齢の面から見て老成。 文章や知識、抽象的な論理で物事を証明することが多く、学問や求道者に向いている。要約すると縦のつながりに強い。 ただし、第一印象重視(ベタ視点重視)のファッションや人付き合いなどは苦手。 どちらも歳を経てくるとメタになっていくのだけ
ハムスター速報 2ろぐ 〜きなこもちプロファイル〜 彼女がものすごい勢いで結婚を迫ってきて鬱 スンバらしい。 15 :閉鎖まであと 12311 秒: 投稿日:2007/01/23(火) 16:34:49.87 ID:Znk2Lfba0 ☆ |\ ∴∴∴ /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: :::::::::::::::::::::::: / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::: / :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::  ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ 一度振られかけたけど・・・ 公務員内定したら結婚を迫られた 22歳男子の激鬱の詩 これは凄い。というか、女のほうが凄い。 一般的に、男性側は
(Part2へ) 職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、ご自身の経験を語っていただくトークセッション「Road to CEO」。今回は、世界最大の組織・人事マネジメント・コンサルティング会社、マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングの日本法人を率いる柴田励司氏をゲストに迎え、組織運営の秘訣と人事の課題について語っていただいた。 司会、秋山(以下A) 今年のワールドカップでは、サッカーの日本代表がぼろぼろになって負けました。中のことは分からないので想像でしか言えないんですけど、(誰もが)目標にしたいすごい人がいて、でも言い方はかなりきつい人で、(その人が組織に)うまく馴染まなかった感じでした。ああいう姿を見ていて、人事のプロフェッショナルの観点から、ジーコのやり方がまずかったとか、そういうのを教えていただけるとありがたいんですが。 確か
ところで成句「趣味は人間観察です」は、いろんな経緯があってのことだが、発声即ち「自分は自意識過剰の痛いひとです」という主張を意味するので、取り扱いが簡単でない。ようするに、 観察する側の人間である=行動する側の人間ではない=場の主流派に所属していない、まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない人間である、と言っているのに等しい(もちろん個別の例外はあるが、それは後々カスタマイズしていけばよいだけのことで、データベース型の第三世代人間関係インデックス能でマッピングする際は、初期位置をそこにセットするのが自然だ)。コミュニケーション至上主義勢の用語で一言でいえば「さびしいひと」。 なぜここで「まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない」とまで断定できるのかといえば、それができるひとの大概はそれなりの人間観察能力を持ちつつもそれをあくまで手段として使っているから。趣味的な観察はあくま
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